看護部本日モ反省ノ色ナシ

看護師を中心に医療界の変なエピソードを話していきます

私は看護師をしておりますが まあおよそ一般社会では通用しないことがまかり通る それが看護師の世界です そんな看護師のエピソードとともに 医療界(病院)の変なことも話していきたいと思います

「交通費(通勤費)全額支給の落とし穴/誇大表示にならないのか?

今週は、

今日で仕事終了。

 

久々に、

土曜日が休みで、

これまた久々の、

2連休です。

 

今日の話題は、

最初に働いた病院、

そして、

転勤した病院の話です。

 

前にも話したかもしれませんが、

最初に就職する際、

就職した病院と、

あと、

大学病院2ヶ所の、

採用試験を受験しました。

 

そして、

就職した病院と、

大学病院1ヶ所に、

合格しました。

 

受験したのも、

合否発表があったのも、

就職した病院が先でした。

 

そして、

大学病院の合否発表の前に、

就職するか否かの返事をする必要があったので、

就職することにしました。

 

ちなみに、

第1希望は、

不合格となった大学病院でした。

 

そして、

合格した大学病院を断ったのですが、

断った後にも電話がかかってきて、

 

「考え直してもらえませんか?(私の名前)さんのような、優秀な方には、是非うちに来てもらいたい」

 

と言われました。

 

どうやら、

採用試験の出来が、

良かったようです。

 

そう言ってもらえたことは、

非常に嬉しかったですが、

丁重にお断りして、

就職した病院に行きました。

 

これも、

前に話したかもですが、

転勤した病院を辞めたあと、

近畿中央病院に行くまでに、

その合格していた大学病院を、

再度受験しました。

 

一旦合格したのですが、

嫌な印象を受けたので、

行きませんでした。

 

まだ働いていない者を、

優秀だと言い、

10年弱のキャリアを積んだ者を、

ぞんざいに扱う・・・

 

看護師の世界は、

本当におかしいです。

 

前置きが、

長くなりましたが、

最初に働いた病院の、

看護職員募集要項には、

 

「交通費全額支給」

 

と書かれていました。

 

上限は、

もちろんありますが、

確か月5万円までだったと思うので、

全然問題ありません。

 

私は、

自宅から最寄りのJRの駅までバス、

その駅から病院の最寄りまでJRを使う経路を、

申請しました。

 

すると、

 

「自宅から最寄りのJRの駅までは、距離が規定以下のため、認められない」

 

とのことでした。

 

この時点で、

すでに誇大広告というか、

 

「誇大表示」

 

に当たる案件です。

 

どうやらバスは、

1.5km以上でないと、

交通費が出ないようでした。

 

しかし、

バスの運賃は、

均一です。

 

短距離であろうが長距離であろうが、

値段は変わらないのです。

 

距離によって、

値段が上がるのならまだしも、

均一料金なら、

出してもいいのではないでしょうか?

 

「それなら」

 

と、

今度は、

最寄りの私鉄の駅まで徒歩にして、

私鉄に乗って、

JRの駅に行くことにしました。

 

しかし、

それも、

認められませんでした。

 

理由は、

私鉄の駅からJRの駅までがひと駅で、

これまた距離が短いというもの。

 

もはや、

全額支給でも、

何でもなくなっています。

 

しかたなく、

家から最寄りのJRの駅まで、

自転車を使うことにしましたが、

これも却下。

 

これまた、

距離が短いとのこと。

 

結局、

最寄りのJRの駅まで、

徒歩で申請して、

やっと認めてもらえました。

 

しかし、

速足の私でも、

15分弱かかる距離です。

 

実際問題、

朝から歩く距離ではありません。

 

夜勤明けなど、

帰りには、

たまに歩いていましたが・・・

 

結局、

最寄りのJRの駅までは、

自腹を切って、

バスか私鉄を使うことにしました。

 

ここで、

もうひとつ、

問題が持ち上がります。

 

もし、

申請している経路と違う通勤方法を取っていた時に、

事故に遭った場合、

労災が下りなくなるのです。

 

幸いなことに、

そういう事態になることはありませんでしたが、

危険な話です。

 

転勤した病院へは、

JRに乗って、

とある駅から別の私鉄に乗って行っていました。

 

これでは、

また家から最寄りのJRの駅までは、

交通費が出ないので、

私は一計を案じました。

 

それは、

自宅の最寄りのバス停から、

私鉄への乗り換え駅まで、

バスを使うことにしたのです。

 

本来なら、

私鉄-JR-私鉄

としたほうが、

交通費が安いのに、

規定のおかげで、

高い経路が、

認められることになりました。

 

変な話です。

 

しかしこの件、

やはり問題になったようで、

のちに、

 

「交通費全額支給(ただし条件あり)」

 

と、

募集要項が改められました。

 

そりゃそうです。

 

きっと、

多くの人から、

苦情が出たとだと思います。

 

そうでなければ、

改める必要はないのですから。

 

みなさんも、

もし転職をすることがあれば、

こういうところは、

しっかりと確認しましょう。

 

でないと、

えらい目にあうことになります。

 

ちなみに、

近畿中央病院では、

車通勤だったので、

こんなことはありませんでした。

 

それに、

通勤距離に応じた交通費(ガソリン代)が、

支給されていました。

 

ひと月の、

通勤に要したガソリンが買える金額とは、

ほど遠い金額でしたが、

出ないよりはマシでした。

 

近畿中央病院のヘルパーで、

遠くから通っている人を、

2人知っていますが、

その2人が共通して言っていたのが、

 

「交通費が全額出るから近畿中央病院に来た」

 

ということ。

 

それぐらい、

交通費が全額出るということは、

人員を確保するためには、

大事なことだということです。

部下を信用しない女・退院支援室主任・佐々木

今日のお話は、

初登場となる、

近畿中央病院の、

退院支援室に所属する主任看護師・佐々木です。

 

この人に、

この件があるまで、

悪い印象はまったくなかったのですが、

この一件で、

180度見方が変わりました。

 

まず、

病院の事情に疎い一般の方々のために、

説明をしておきたいと思います。

 

まず、

退院支援室について。

 

読んで字の如く、

入院患者の退院を支援する部署です。

 

これは、

 

「地域医療福祉センター」

 

という部門のいち部署で、

ここには、

退院支援室の他に、

地域医療室・総合医療相談室・入院支援室 という、

3つの部署があります。

 

入院支援室については、

私が、

結核に罹患して、

最初に入院したころに、

できたものと思われます。

 

私が、

外来検査部門から、

病棟に上がった時に、

一緒に働いた看護師が、

今そこに所属しているようです。

 

退院支援室と病棟は、

常に連携を取って、

患者がより良い形で退院できるよう、

調整をはかっています。

 

時に、

ひとり暮らしであったり、

身寄りがない場合、

また、

そうでなくても、

自宅で看るのが困難な場合に、

退院先の選定など、

調整が必要なのです。

 

そのため、

週に1回、

退院支援室のスタッフが病棟に来て、

カンファレンスを持ち、

その進捗状況や、

お互いにやるべきことを、

確認しています。

 

各病棟ごとに、

担当のスタッフが決まっていて、

私が最後に所属した6西病棟は、

件の佐々木主任と、

以前に1度登場した、

KWSMさんが、

担当していました。

言うことに一貫性のない男・古川睦 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

↑↑↑↑↑

この時登場したKさんが、

KWSMさんです。

 

退院支援室の看護師は、

この2人だけなので、

あとは、

MSW(医療ソーシャルワーカー)が、

その任に就いています。

 

説明はこれぐらいにして、

本題へ。

 

ある日、

私がリーダーをしていると、

佐々木主任から、

電話がかかってきました。

 

内容は、

こんな感じです。

 

「昨日、転院した○○さんの転院先から、CDーROMがなかったと言ってきた。病棟に残っていないか、確認してほしい」

 

まず、

転院が決まったら、

退院支援室が主治医に対して、

紹介状と、

放射線データ(レントゲン・CT・MRI等)等、

転院先が要求するものを、

作成依頼します。

 

放射線データは、

CD-ROMに焼かれます。

 

出来上がったものは、

一旦退院支援室に行ったあと、

担当者が病棟に持ってきます。

 

紹介状に関しては、

主治医から直接、

病棟看護師に渡されることもあります。

 

退院までに、

退院支援室の担当者から、

紹介状等が揃っているか、

確認の電話があることもあります。

 

これで、

漏れをなくすことになるのです。

 

一方の病棟は、

受け取った書類と、

看護要約など病棟で準備したもの、

薬剤師が用意した退院処方(薬)などを、

ひとまとめにして、

それ専用の置き場(かご)に置きます。

 

そして、

ひとまとめにしたものに、

 

「退院時チェックリスト」

 

を付けて、

揃っているものに、

チェックを付けます。

 

揃っていないものがあれば、

リーダー同士で申し送りをして、

退院日までに揃うよう、

関係先に働きかけます。

 

これだけするのですから、

まず漏れることはないのです。

 

私は、

探しましたがやはり無く、

病棟には残っていない旨を、

佐々木主任に伝えました。

 

すると、

佐々木主任は、

こう言いました。

 

「じゃあ、昨日転院を担当した看護師に確認してほしい」

 

昨日、

転院を担当した看護師は、

この時登場した、

OKDさんという、

若手の看護師でした。

リーダーの私に入院を取れというM上T子 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

OKDさんは、

私とは違うチームだったので、

どうやら前日は、

私のチームの応援だったようでした。

 

OKDさんは、

当日夜勤入りで、

佐々木主任から電話があったのが、

昼過ぎだったので、

もしかしたまだ、

寝ているかもしれません。

 

夜勤入りの者を、

早く起こすのは忍びないので、

私は佐々木主任に、

こう言いました。

 

「昨日、転院を担当した看護師は、今日夜勤入りなので、勤務に出てきてからじゃダメですか?」

 

これに対する、

佐々木主任の返答はこうでした。

 

「先方が、無くて困っているから、早急に確認してください」

 

いやいや・・・

 

転院したのは昨日。

 

しかも、

昨日の午前中です。

 

CD-ROMが無いのに気付くのが、

今日って、

おかしくないですか?

 

前日に気付いて、

連絡をしてきていたら、

転院を担当したOKDさんも居るわけで、

事はもっとスムーズに運んだはずです。

 

しかも、

翌日になって気付いたということは、

さほど急いでいないということではないでしょうか?

 

佐々木の返答には、

まったくをもって納得できませんでしたが、

しかたなく、

OKDさんに連絡を取る旨を伝え、

一旦電話を切りました。

 

そして、

OKDさんに電話をしましたが、

電話には出ませんでした。

 

おそらく、

まだ寝ていたのだと思います。

 

そもそも、

人の生死がかかわっているのならまだしも、

こんな用事で、

職場から電話をすること自体、

本来避けるべきことなのです。

 

そういう、

一般常識からかけ離れたことを、

平気で行わせるのも、

看護師という職業ならではのことだと、

私は思います。

 

時間を置いて、

2~3度かけましたが、

やはり出ませんでした。

 

その様子を見ていた、

とある看護師が、

 

「OKDさん、昨日ちゃんと渡していましたよ」

 

と言いました。

 

そりゃそうです。

 

ひとまとめになっているものを、

わざわざCD-ROMだけ外すのも面倒だし、

そんなことをしても、

何のメリットもありません。

 

最悪、

残っていたものを、

自分で持っていくハメになるかもしれません。

 

そんなこと、

意図的にするバカが、

居ると思いますか?

 

常識で考えたら、

わかる話です。

 

電話に出ないし、

どうしたものか思案していると、

佐々木主任から電話がかかってきました。

 

「先方から電話があって、CD-ROMあったそうです。よかったよかった」

 

いや、

何もよくありません!

 

まず、

自分の、

直属ではないにしても、

部下を信用していないから、

こういうことになったのです。

 

これは、

近畿中央病院の、

良くない部分で、

例え看護師にまったく落ち度がないとしても、

患者や家族からクレームがあったら、

事実関係を確認する前に、

まず謝ってしまうのです。

 

そして、

当事者を矢面に立たせて、

 

「悪いのはこの人です」

 

と言わんばかりの対応をするのです。

 

普通、

組織というものは、

個人を守るものです。

 

しかし、

近畿中央病院は、

組織を守り、

個人を売るのです。

 

私が、

結核にかかり、

退職に至った経緯をみたら、

一目瞭然だと思います。

 

今回の件は、

OKDさんを始め、

病棟には一切落ち度はありません。

 

転院先の確認不足、

ならびに勘違いなのです。

 

しかも、

 

「あった」

 

という連絡が転院先からあった時に、

佐々木主任は、

どういう返答をしたのでしょうか。

 

きっと、

 

「よかった」

 

の一言で終わったことでしょう。

 

そこは、

一言、

くぎを刺すべきではないでしょうか。

 

我々は、

多忙な中、

本来しなくていい、

CD-ROMを探す作業、

そしてOKDさんに電話をかけるという作業に、

時間と労力を割いたのですから。

 

転院先も転院先で、

 

「もっとよく探せや!」

 

という話。

 

その前に、

普通、

紹介状とCD-ROMは、

一緒に医師に渡すものなのに、

それがバラバラになること自体、

あり得ない話です。

 

問われるべきは、

そこだと思います。

 

最も許せないのは、

部下を信用しなかった挙句、

詫びの一言もなかった、

佐々木主任です。

 

お前の、

わけわからん電話で、

こっちは振り回されたんやからな!

 

その点について、

言ってやろうと思いましたが、

さっさと向こうが電話を切ったので、

言えませんでした。

 

所詮、

近畿中央病院で肩書のある看護師とは、

大半がこんなものなのです。

 

とにかく、

部下に謝らない。

 

今まで、

弊ブログで散々言ってきましたが、

上司たるもの、

部下に謝れてこそ、

信頼を得られるのです。

たまには良い話を 上司の鏡/看護師長・國久シゲコの場合 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

古川睦のように、

一貫性のない、

その場限りの対応で、

部下をバカにし続けていたり、

時には恫喝もするなど、

もってのほかです。

労災の軌跡Vol.18・手術室が無理だった本当の理由/それは根本的な問題!

今日は休日で、

仕事が休みなので、

新しい記事を書きます。

 

このブログは、

そもそも、

近畿中央病院において、

私が労災により、

結核に罹患した経緯、

そして、

その後の近畿中央病院の、

理不尽な仕打ちについて、

告発することを目的としています。

 

ですから、

本当は、

もっとそのことについて書きたいのですが、

この件について書く時には、

時間をかける必要があるので、

なかなかできない現状です。

 

この件は、

読者のみなさんにも好評のようで、

この件の時の訪問者数は、

格段に増えます。

 

ということで、

今回は、

本来の目的に関連したことを、

話題にしたいと思います。

 

2020年の、

5~7月頃に行われた、

病院側(事務長・竹田、看護部長・前田正美、看護師長・古川睦、他)との話し合いで、

元々所属していた6階西病棟ではなく、

手術室での復帰を打診されました。

 

これは、

私の体を考慮した結果というのが、

病院側の主張でした。

 

この頃、

呼吸器内科メインである6階西病棟は、

コロナ病棟と化していて、

基礎疾患があり、

呼吸器疾患(結核)の既往がある私には、

易感染性があるから危険だというのが、

表向きの理由です。

 

しかし、

これは、

今までにも繰り返し述べてきたように、

あくまでも、

 

「表向き」

 

の理由です。

 

本当の理由は、

世の中に対して、

私が労災で結核に罹患したことを、

せっかく隠ぺいしたのに、

もしコロナに感染し、

基礎疾患があるがために死に至ったら、

今度こそ公表せざるを得なくなるからです。

 

つまり、

私のためではなく、

病院の体面のためなのです。

 

そんなことは、

この打診を聞いた時、

すぐにわかりました。

 

そのことを指摘したら、

一同無言になったので、

図星だと思います。

 

古川睦など、

途中から、

話し合いにすら出て来なくなりました。

 

本来、

院内に居てはならないはずの結核患者を放置し、

その結果私に結核に罹患させた責任は、

病棟の管理者たる病棟師長・古川睦にも、

絶対にあるはずです。

 

なのに、

途中から来なくなるとは、

責任逃れも甚だしいと思います。

 

まあ、

所詮そんな者しか居ないのが、

近畿中央病院というところだと思います。

 

本来なら、

 

「俺(古川睦)が、最後まで責任を取って面倒見る」

 

というのが、

普通だと思うのですが、

要は、

そんな度量もない人間ということです。

 

ちなみに、

前田正美が、

他の部署にも打診したようですが、

どの部署も断ったそうです。

 

その理由は、

私が、

このブログを始める前に、

TwitterなどのSNSで、

病院や看護師の批判をしたことだそうです。

 

しかし、

いつも言うことですが、

言われるようなことをするから言うのであって、

言われたくなければ、

言われるようなことをしなければいい話です。

 

言った側を批判するというのは、

 

「逆ギレ」

 

以外の何ものでもありません。

 

自分たちの、

間違った言動を反省することなく、

正論を唱える者を批判するのも、

 

「近中クオリティ」

 

です。

 

前田正美曰く、

 

「自分たちも言われるのではないかと、皆、戦々恐々としている」

 

とのことですが、

それこそ、

言われたくなければ、

言われるようなことをしなければ、

いい話です。

 

前田にも、

そう言って論破しました。

 

前田は、

返す言葉が無く、

黙っていました。

 

また、

各部署の責任者(看護師長)が、

私の受け入れを拒否しましたが、

そんなの、

前田が指導力を持って、

 

「受け入れなさい」

 

と言えばいい話ではないでしょうか。

 

なぜ、

部下に拒否されて、

あっさり引き下がるのか。

 

それは、

前田正美の、

人望の無さ、

そして指導力の無さに、

起因していると思います。

 

そうでなければ、

看護部長の依頼を、

部下の看護師長が断るというのは、

おかしな話です。

 

打診ではなく、

命令ができる立場の人間が、

それをできない・・・

 

おかしな話です。

 

しかも、

私は、

不祥事を起こしたわけではありません。

 

病院の、

HPの記載は、

如何にも私個人の不祥事のように書かれました。

 

しかし、

私は、

普通に、

なんなら同僚にコキ使われながら、

一生懸命働いていたのです。

 

病院が、

本来近畿中央病院に、

入院していてはならない結核患者を、

適切に発見し、

速やかに専門病院に転院させていれば、

私が結核にかかることは、

なかったと思います。

 

ですから、

この件は、

あきらかに、

近畿中央病院の過失なのです。

 

それが、

自分たちでもわかっているから、

私がこの件をこれだけ告発し続けても、

逆に何も言えないのです。

 

なぜなら、

裁判に持ち込まれたら、

困るからです。

 

常に、

いくつかの訴訟を抱えているようなので、

これ以上の面倒は困るのです。

 

前にも言いましたが、

訴訟をちらつかせたら、

事務長・竹田の態度が、

180度変わりました。

 

竹田は、

私が民事で訴えると思っていたようですが、

それは違います。

 

「業務上過失致傷」

 

という、

刑事事件にするつもりでした。

 

今からでも、

遅くはないのですが、

近畿中央病院は、

 

「どうせやらないだろう」

 

と、

たかをくくっています。

 

時効もあることですし、

就職して、

公立学校共済組合の、

任意継続の保険証を終了になったことによって、

近畿中央病院と、

完全に縁が切れたので、

もう関わりたくない思いがあります。

 

ただ、

私がこうして発信していることに対し、

顧問弁護士を使って圧力をかけてきたら、

その報復として、

必ず告訴します。

 

話が逸れましたが、

この話題は久々なので、

これまでのおさらいも兼ねて、

述べました。

 

各部署の看護師長が、

私の受け入れを拒否しましたが、

 

「12年働いてきてコレか」

 

と思いました。

 

先に述べたように、

不祥事を起こしたわけでもなく、

私に落ち度があったわけでもなく、

私は、

ただ一生懸命働いていただけです。

 

看護師など、

普段は、

 

「患者のため」

 

とかほざいているけど、

同僚が病気になったら、

本当に冷たいものです。

 

これは、

近畿中央病院だけなのか、

それとも、

看護師という職業がそうなのか。

 

私は、

後者だと思います。

 

で、

唯一受け入れをOKしたのが、

手術室の看護師長でした。

 

この人が、

常識のある良い人であることは、

以前から認識していましたが、

こういう時に、

それが本当であたっと、

再認識できるものです。

 

打診されたのは、

5~7月の話し合いでしたが、

前にも話した通り、

私には、

他院でも手術室の経験がなく、

不安は大きなものでした。

 

病み上がりの体で、

不安が大きな状態。

 

気持ちの準備期間を取るために、

2020年10月1日から、

復帰することにしました。

 

しかし、

以前に述べた通り、

不安は予想以上に的中し、

心身ともに疲れ果て、

結局自ら退職を申し出ました。

 

まんまと、

病院側の作戦にはまりました。

 

自分たちから、

 

「辞めろ」

 

とは言えないので、

こちらに、

 

「辞める」

 

と言わせるように、

し向けたのです。

 

何度も何度も、

繰り返し言うことですが、

おかしな話です。

 

近畿中央病院の不手際により、

病気にさせられた私が、

近畿中央病院から謝罪の言葉もなく、

一銭の慰謝料も貰うことなく、

追い出されたのですから。

 

「労災から治療費が出ただろ?」

 

という人が居るのですが、

これもおさらいで述べます。

 

結核の治療費は、

元々公費から出るので、

多少の違いはあれど、

労災だろうが公費だろうが、

基本的には自己負担はないのです。

 

しかも近畿中央病院は、

退院後の通院を近畿中央病院にさせて、

労災から通院費を取ろうとしていたのです。

 

それが嫌なので、

私は、

入院していた病院に、

通院することにしました。

 

なんで、

近畿中央病院に、

儲けさせてやらなければならないのか。

 

バカでも、

わかる話です。

 

私が、

手術室が無理だった話は、

以前にしているので、

過去の記事を参照してもらえばいいのですが、

それとはまた違う、

根本的な理由があるのです。

 

同じ看護師でも、

病棟の看護師と手術室の看護師、

根本的な違いがあります。

 

手術室に配属されて数日経った日、

指導者のUESKと共に、

外科の手術についていました。

 

まだ、

物品の名前もわからないし、

手術の流れもわかっていないのにです。

 

健康な状態ならまだしも、

病み上がりの体には、

余計にきつく感じました。

 

手術室には、

センサーで開閉する自動ドアが付いていて、

手術中、

意外なほどしょっちゅう、

人の出入りがあります。

 

私は、

ドアが開く音がすると、

ついそちらのほうを見てしまいました。

 

すると、

その日の終わりに、

指導者のUESK、

そして他の看護師から、

 

「手術に集中していない。ドアが開く度に、そっちを見て気が散っている」

 

という指摘をされました。

 

私が言いたいのは、

この点なのです。

 

病棟の看護師は、

例えば夜勤をしている時に、

何か音が鳴ったら、

その音の出たほうに駆けつけるよう、

指導されています。

 

なぜなら、

もしかして、

患者が転倒しているかもしれないからです。

 

実際、

そういうことは、

多々ありました。

 

夜勤だけでなく、

日勤でもそうです。

 

逆に、

日勤のほうが、

スタッフの人数は居るけど、

夜勤より騒然としているので、

そういう音を聞き逃しがちです。

 

ですから、

聞きなれない音がしたら、

即反応するように、

訓練してきました。

 

20数年そうしてきた者が、

数日で音に反応するなというほうが、

無理な話です。

 

逆に、

卒後ずっと手術室に居た人が、

病棟に異動になったら、

音に対する反応が鈍く、

転倒転落が発見できないのではないでしょうか。

 

この点が、

実は、

私が手術室が無理だった、

大きな理由なのです。

 

実は、

もうひとつあります。

 

手術室の直接介助(医師に物品を渡す)は、

実は看護師免許がなくても、

していいのです。

 

実際、

そうしている病院もあります。

 

近畿中央病院においては、

看護師、

そして夜間の緊急手術の際には、

臨床工学士が、

直接介助につくようで、

今のところ、

有資格者でまかなっています。

 

無資格者でまわすという話は、

出ていないようですが、

事務棟の廊下の明かりを、

昼間消すよりも、

有資格者から無資格者にして、

人件費をカットするほうが、

余程良いのではないかと思います。

 

もうひとつの理由は、

ここにあります。

 

なぜ、

看護師免許を持っているのに、

無資格でもできることを、

しなければならないのか。

 

もちろん、

間接介助(点滴等外回りの業務)は、

医師の指示を受けてすることで、

看護師免許が必要ですが、

直接介助ができるようになる、

つまり、

手術の流れがわかるようになって、

初めて間接介助ができるようになります。

 

しかし、

 

「直接介助は手術に集中しろ」

 

と言う割には、

間接介助の動きを見ろというのは、

矛盾しているように思います。

 

やはり、

手術室に行くのは、

卒後すぐか、

若いうちにするべきです。

 

とても、

48歳の者が、

初めて行くようなところでなないのです。

 

人間、

努力をしなければならないのはわかりますが、

努力をしても無駄であることがわかっていることに、

労力を使うのは、

愚かな人間のすることです。

 

実際、

私は、

手術室は無理でしたが、

今の仕事に必要な資格は、

滞りなく取得できました。

 

それには、

それなりの努力をしました。

 

なぜなら、

努力して頑張れば、

資格を取得できることが、

自分の能力を鑑みて、

わかったからです。

 

高校の時の、

たしか物理の先生が放った、

 

「人間頑張っても無理なものは無理だ」

 

という言葉があります。

 

当時は、

夢も希望もない、

酷いことを言うものだと思いましたが、

年を重ねると、

その言葉がよくわかるようになりました。

 

名言だと思います。

 

人間、

何かを成し遂げるための努力は必要だが、

己の能力の限界を知らず、

絶対に無理なことに時間と労力を割くのは、

無駄なことだということです。

 

やってみて、

無理だと理解するのは、

若いうちだけです。

 

年を重ねても、

自分に限界を設けるのは、

よろしくないですが、

限界を知ることも、

大切だと思います。

 

私は、

その限界を、

切々と話し合いで訴えてきたのに、

前田など、

 

「そんなのできるわよ」

 

と、

何の根拠もないことを、

言っていました。

 

人の限界を、

理論上だけで、

他人に勝手に超えさせられるのは、

本当に迷惑です。

 

この歳になると、

自分の限界は、

自分が一番よくわかっているのです。

 

ただ、

すべてにおいて、

限界をつくっているわけではありません。

 

これから、

挑戦したいことも、

いくつかあります。

 

己の限界を知りつつも、

新しいことにも挑戦していく。

 

これが、

今の私、

そして、

私と同年代以上の年代の人に、

求められていることでは、

ないでしょうか。

 

誰かさんのように、

どう考えても無理なことを、

精神論で押し切るなど、

時代錯誤もいいところです。

 

そんな、

いつまでも自衛隊気質が抜けないのなら、

看護師なんか辞めてしまえ!

上司に「器用」と評された不器用な男の話+α

昨日土曜日も、

仕事でした。

 

仕事自体は、

看護師の時のように、

同僚に邪魔されることがなくて、

そういう意味では、

ストレスが無くて良いです。

 

この仕事を始めて、

1ヶ月が過ぎましたが、

よくよく考えたら、

まともに仕事をするのが、

ほぼ2年ぶりになるので、

疲れが出ています。

 

少し前にも言いましたが、

お金を稼ぐということは、

簡単ではないのです。

 

「このままでいいのか」

 

日々、

自問自答しています。

 

ただ、

看護師に戻ることはないし、

仕事自体は、

看護師よりも格段に楽しいです。

 

だから、

戻ることはないのです。

 

それでは本題。

 

私は、

自分で自分のことを、

決して器用ではないと思っています。

 

はっきり言えば、

あらゆる面において、

不器用な方だと自覚しています。

 

ただ、

時間をかければ、

大抵のことはできるようになります。

 

運転免許も、

MT(マニュアル)で取りました。

 

仮免を取る時に、

その前1ヶ月開いてしまったこともあって、

1度落ちましたが、

あとは順調でした。

 

このブログで、

何度か登場した、

FJMTという男が居ます。

 

私が、

最初に就職した病院の、

同期の看護師です。

 

このFJMT、

要領が良いせいか、

上司や先輩から、

高い評価を得ていました。

 

それはそれで、

悪いことではないと思います。

 

しかしそれが、

間違った評価になっていることには、

納得がいかないのです。

 

FIMTは、

当時の病棟看護師長MRMTから、

 

「FJMTさんは器用ですから」

 

と評されていました。

 

しかしFJMTは、

同期の私、

そしてHMMT君からみれば、

なんなら私より不器用でした。

 

その根拠を2つほど。

 

まず1つ目。

 

FJMTは、

運転免許を、

AT(オートマティック)で取りました。

 

普通車のMTが、

ほぼ絶滅している現在、

全然おかしいことではありません。

 

しかしFJMTは、

合宿で、

しかも最初は、

MTで取りに行ったのです。

 

しかし、

元来の不器用さゆえ、

合宿期間内に、

卒業ができないことになりました。

 

それで、

教習所側から、

ATに転向するように、

打診されたのです。

 

通いと、

合宿の違いはありますが、

私はMTで取れました。

 

昨年末に取得した、

今の仕事に関する資格2つも、

実技を伴うのですが、

この歳で、

滞りなく取得できました。

 

ATは、

ゲーム感覚なので、

器用さは必要ありません。

 

このことに、

余談があります。

 

FJMTは、

結婚して、

病院を辞めて、

鹿児島に行きました。

 

理由は、

嫁の実家が、

種子島で、

ただ種子島では、

再就職先がないので、

鹿児島市内に、

新居を構えたのです。

 

鹿児島では、

自家用車が必要なようで、

購入したようです。

 

もちろん、

AT車を。

 

単に、

鹿児島市内で乗る分のは、

それでいいのです。

 

しかし、

嫁の実家である種子島では、

MT車が主流らしく、

嫁ですら、

MTで免許を取得していたようです。

 

車を購入する際も、

嫁は、

MT車を希望したようですが、

FJMTに合わせて、

AT車にしたのです。

 

以前に、

HMMT君が、

FJMTと共に、

結婚前に、

嫁の実家の種子島に行った話を、

したかと思います。

 

その際、

嫁の両親は、

まもなく娘の旦那になることが確定しているFIMTよりも、

HMMT君のほうを、

気に入ったのです。

 

黒髪で、

真面目な風貌のHMMT君と、

金髪でチンピラのような風貌のFJMT、

どちらを気に入るかは、

一目瞭然です。

 

しかもHMMT君は、

嫁の実家のMT車を運転したことも、

気に入られる要因になったのです。

 

FJMTは、

運転できませんから。

 

そんなFJMT、

わざわざ安定した職場を辞めて、

鹿児島に行き、

子供も儲けたにもかかわらず、

離婚して、

1人大阪に舞い戻っているようです。

 

2つ目のエピソード。

 

私は、

就職した年に、

HMMT君と共に、

スノーボードを始めました。

 

HMMT君は、

スキー経験があったのですが、

私はウインタースポーツをするのが、

まったくの初めてでした。

 

スノーボードとスキーは、

まったく違うと言いますが、

やはりスキーが出来ると、

多少のアドバンテージがあります。

 

しかも、

HMMT君は、

私より運動神経がはるかに良いので、

すぐに上達しました。

 

私は、

まともに滑れるようになるのに、

2~3年要しました。

 

子供の頃から、

運動が苦手だった私にしては、

よくやったと思います。

 

その、

なかなか滑れない時期に、

FJMTが、

そのことを弄ってきました。

 

それだけ弄るのですから、

FJMTは、

出来るのかといえば、

そうではありません。

 

スノーボードはしたことがなく、

スキーを少しやったぐらいだそうです。

 

そして、

私は行かなかったのですが、

HMMT君とFJMT、

あと数名で、

スキー場に行ったそうです。

 

HJMTは、

レンタルでスキーを借りて、

やり始めたそうですが、

まったく滑ることができず、

大半の時間を、

ロッジで過ごしたとのこと。

 

こんな人物に、

弄られる筋合いなど、

まったくないわけです。

 

しかも、

看護師長MRMTの、

 

「FJMTさんは器用ですから」

 

は、

FJMTに対する間違った評価にとどまらず、

暗に私のことが、

不器用だと言いたかったのです。

 

私は、

時間をかけてでも、

出来るようになる努力をします。

 

一方のFJMTは、

まず、

私ができることなら、

自分にも出来るだろうと思うのです。

 

そして、

出来なければ、

努力をすることもなく、

放り出してしまいます。

 

私とFJMT、

この両者を、

人材としてどちらが評価されるべきかといえば、

自分で言うのもおかしいですが、

私だと思います。

 

その、

一目瞭然な結果が覆るのが、

看護師という世界なのです。

 

よほど、

看護師という職業の人間には、

人を見る目がない者が多いかということです。

 

見ていないようで、

人のことをよく見ていると感じたHYSDでさえ、

井上裕貴のイカサマ性には、

気付かなかった・・・というか、

まんまと騙されたのですから。

人を見る目のあるやつはどこに居るんだ!・近畿中央病院/病棟師長HYSDの場合① - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

人を見る目のあるやつはどこに居るんだ!・近畿中央病院/病棟師長HYSDの場合② - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

以上2つが、

上司や先輩から、

 

「器用」

 

と評価されているFJMTが、

如何に不器用であるかという検証でした。

 

ここからは余談です。

 

私は、

FJMTの結婚式の2次会に呼ばれたのですが、

行きませんでした。

 

まず、

嫁と付き合っていることは、

HMMT君から聞いていて知っていたのですが、

FJMT本人からは、

一言も聞いていませんでした。

 

しかも、

同期なのですから、

呼ぶなら、

最低限披露宴からでしょう。

 

私より後輩で、

FJMTと一緒に働いたことが無い男性看護師でも、

披露宴に呼んでいるのですから、

よほど私のことを、

下に見ているということでしょう。

 

HMMT君を通して、

FJMTが、

 

「来てほしい」

 

と言っていると聞きましたが、

その希望を聞き入れることは、

ありませんでした。

 

私は、

よほど同僚から信用がないのか、

誰と付き合っているとか、

結婚するとか、

仕事を辞めるとか、

重要な相談をされたことがありません。

 

しかし私は、

自分で言うのもおかしいですが、

適切な助言ができる自信があります。

 

私のブログを、

すべて読んで読んでいただければ、

それがわかると思います。

 

私の助言を聞くことがなく、

悪い方向に行ってしまった人も、

何人か居ます。

 

人の意見は、

幅広く聞き、

流されることなく、

最終的には自分で判断することが、

重要です。

 

この時話しましたが、

藤本には、

8万円以上のお金を貸してきて、

未だに返金されていません。

「何しとるんや!」「着替えとるんや!」/疑う相手を間違う男・T崎K三 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

それを、

結婚の祝儀だと思えば、

私も幾分救われます。

 

ただ、

離婚したので、

まだもやもやが残っています。

 

本当は、

昨日このブログをあげて、

今日別のことを書こうと思っていたのですが、

安定の

 

「寝落ち」

 

で、

できませんでした。

 

ですから、

プラスアルファ、

したいと思います。

 

この前、

脱サラで失敗して、

自殺を図った男の話をしました。

脱サラで失敗した男の話/反対意見は真摯に受け止めるべき! - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

この時に、

書きそびれたことを書きます。

 

この男、

命が助かったことを、

感謝することはなく、

こう言い続けました。

 

「なんで助けたんや。ここで死んでやる」

 

他の看護師は、

受け流したり、

寄り添うような言葉をかけたりしていましたが、

私は、

いい大人の幼稚な言動に辟易していたので、

こう言いました。

 

「ここは病院なので、例えここで自殺を図っても、全力であなたの命を助けます。そもそも、あなたが自殺のしかたを間違えたんでしょ?借金取りの見ている前で飛び降りても、死なれたらお金返ってこないから、救急車を呼ぶでしょう。しかも細い隙間から飛び降りたら、衝撃が吸収されて、死なないのは明らかです。もしどうしても死にたいのなら、退院したあとに、誰も居ないところでやってください。そうしたら、我々が助けることはありません。それでも、家族は悲しむでしょう。死んで、あなたは楽になるかもしれませんが、残された家族が、あなたのつくった借金を背負うことになるのです。それでいいのですか?」

 

私がこう言ったあと、

男は、

私に対しては、

何も言わなくなりました。

 

そう、

何事も人のせいにする人間には、

良いことなどおとずれないのです。

 

自分の言動には責任を持ち、

もし失敗したら、

自分で責任を取るのが、

社会人たるものです。

いや、もちろん頑張りますが・・・

昨日の土曜日は、

仕事でした。

 

前日が、

祝日で休み。

 

今日も休みなので、

昨日1日だけポツンと仕事でした。

 

ですから、

昨日投稿しようと思っていたのですが、

昨日も寝落ちしてしまいました。

 

昨日は、

だいぶ仕事を頑張ったので、

仕方がないのかもしれませんが、

やはり年々、

無理がきかなくなってきているのでしょう。

 

それでは本題。

 

このブログでも、

以前に触れたことがあると思いますが、

救命救急センターに在籍していた時、

月に1~2回ほど、

放射線科に、

応援に行くことがありました。

 

これは、

放射線科の看護師は、

夜勤がないため、

救命救急センターにおいて、

救急外来の夜勤をします。

 

救命救急センターの看護師と2人で、

救急外来の業務に当たるのです。

 

その代わりに、

救命救急センターの看護師が、

昼間の放射線科の業務を手伝います。

 

放射線科での手伝い先は、

血管造影室(アンギオ)と、

内視鏡室(胃カメラ・大腸ファイバー)でした。

 

内視鏡室には、

妊婦さんが行っていました。

 

なぜなら、

看護師における、

放射線科の管理範囲内ながら、

放射線を使わないからです。

 

しかも、

業務内容が、

比較的軽いので、

妊婦さんの負担が、

軽減できるのです。

 

救命救急センターには、

50余名の看護師が在籍していたので、

割合途切れ目がなく、

妊婦さんが居ました。

 

それで、

自然と、

内視鏡室に応援に行くのは、

妊婦さんということになりました。

 

ということで、

それ以外の人が、

アンギオ室に行くことになります。

 

ひと月に、

平日は20日ほどあります。

 

救命救急センターには、

50余名の看護師が居たので、

単純に考えたら、

ふた月に1回しか、

応援はまわってこないはずです。

 

しかし、

私は、

ほぼ月に2回行っていました。

 

なんなら、

週1回、

行くこともありました。

 

私は、

救命救急センターで、

必要とされていなかったのか・・・

 

アンギオ室は、

大きな病院だったので、

3室ありました。

 

頭部の部屋、

心臓の部屋、

そして腹部の部屋です。

 

救命救急センターからの応援の場合は、

原則心臓の部屋の業務に、

つくことになっていました。

 

理由は、

頭部と腹部の部屋は、

看護師ひとりで業務につくのですが、

心臓の部屋は、

ふたりでつくからです。

 

つまり、

救命救急センターからの応援者と、

放射線科看護師のふたりで、

業務につくので、

本職である放射線看護師が、

慣れない救命救急センター看護師の、

フォローができるのです。

 

しかしながら、

私は、

よく頭部の部屋・腹部の部屋も、

担当しました。

 

その理由は、

よくわかりませんが、

原則から外れることをされて、

疑問に思ったものです。

 

しかし、

いろいろなことを経験できるというのは、

私にとってプラスになるので、

良いほうに考えることにしました。

 

実際、

ここで、

腹部のアンギオを経験していたことで、

近畿中央病院の検査部門で、

腹部のアンギオを担当するのに、

役立ちました。

 

心臓についても然りです。

 

やはり、

若いうちに、

いろいろな経験をしておくことは、

なにかしらの役に立つのです。

 

ちなみに、

アンギオ室の勤務体制は、

リーダー1名・頭部アンギオ担当1名・心臓アンギオ担当2名(うち1名は救命救急センターより応援)・腹部アンギオ担当1名の、

計5名でした。

 

ただ、

すべての部屋が同時稼働するのは、

週1回だけでしたので、

他の4日は、

4名で業務を行っていました。

 

リーダーは、

主に主任が担当していましたが、

たしか主任が2人居て、

そのうち1人は、

能力的に劣っていたので、

リーダーはしていませんでした。

 

その代わりに、

仕事のできるベテランが、

その任についていましたが、

私は、

その人から、

こんなことを言われたことがありました。

 

「(私の名前)君、今日頑張ってや。今日のメンバー見たらわかるやろ?」

 

つまり、

本職たる放射線科の看護師よりも、

応援できている私のほうが、

期待されていたということです。

 

放射線科は、

ギリギリの人数で業務を行っていたので、

看護師長も、

実務を行っていました。

 

しかし、

この人物は、

あまり業務はできなかったらしく、

ベテラン看護師は、

期待していなかったようです。

 

アンギオ室には、

この看護師長は、

滅多に来ませんでしたが、

リーダーではなく、

メンバーとして働いていました。

 

以上のことを総合すると、

私は、

救命救急センターでは、

あまり期待されておらず、

放射線科では、

期待されていたようです。

 

実際、

放射線科のベテラン看護師や主任から、

 

「うちに来る?」

 

と言われたことがありました。

 

期待されるのは、

嬉しいものです。

 

そして、

期待されたら、

もちろん頑張りますし、

与えられた仕事を一生懸命やるのが、

私の信条ですが、

私は、

あくまでも応援要員です。

 

私を、

主要メンバーに考えるのは、

違う話だと思います。

 

放射線科は、

ほとんどがベテラン看護師で、

中には、

能力に劣る人も居ました。

 

それを、

それで諦めるのではなく、

その人たちの底上げをするのが、

私に期待するより先ではないかと思います。

 

ただ、

それまでに散々やってきた結果、

無理だったのかもしれません。

 

しかし、

応援の私が、

すぐにやるのが楽しくなったぐらいの業務です。

 

若くて、

吸収が早いからといえばそれまでですが、

ベテラン看護師には、

それまでの経験があるのですから、

少し頑張れば、

できるはずです。

 

手術室の業務ができずに、

退職を選んだ私が言うのは、

何なのですが、

アンギオ室の業務は、

ベテランでも、

全然覚えることができます。

 

当時のその病院は、

強力な組合に守られて、

高待遇な条件下で働くことだけに、

終始している看護師が居たことも、

また事実です。

 

特にベテラン看護師のごくごく一部は、

定年までのらりくらり働ければいいと思って、

スキルアップをする気など、

さらさら無い感じでした。

 

看護師は、

それではダメでしょう。

 

看護師は、

一生、

少なくとも、

定年退職のその日まで、

勉強をして、

スキルアップすることが求められると、

私は思います。

 

看護師を辞めた私に、

こんなことは言われたくないかもしれませんが、

人の命を預かるのですから、

向上心を持って、

仕事をしてほしいと思います。

 

私も、

看護師は辞めましたが、

今の仕事にも、

活かせることが多いので、

看護師の勉強自体は、

続けたいと思っています。

脱サラで失敗した男の話/反対意見は真摯に受け止めるべき!

今日は、

祝日なので、

仕事は休みです。

 

本当は、

昨日投稿しようと思ったのですが、

夕食を食べた後、

寝落ちしてしまいました。

 

まもなく、

新しい仕事を始めて1ヶ月になります。

 

仕事には、

少しずつ慣れてはきましたが、

まだまだ頑張る必要があります。

 

それでは本題。

 

今から話すのは、

救命救急センターの重症病棟に、

在籍していた時の話です。

 

ある日、

ひとりの男性が搬送されて、

入院となりました。

 

その男性は、

飛び降り自殺を図り、

重傷を負っていました。

 

ただ、

意識は保たれていました。

 

どうやら、

脱サラしてパン屋を開いたものの、

うまくいかず、

今で言う

 

闇金

 

に手を出したようです。

 

取り立てに追われ、

店の入るビルから飛び降りたのですが、

ビルとビルの狭い隙間から飛び降りたため、

壁に当たりながら落下したことで、

衝撃が弱まり、

意外と軽症で済んだのです。

 

入院直後から、

問題が始まりました。

 

患者の家族は、

なかなか見舞いに来ませんでした。

 

それは、

本人の代わりに、

家族が、

取り立てに追われることになったからです。

 

家族は、

奥さんと高校生の娘、

そして中学生の息子の、

3人が居ました。

 

すると、

体は思うように動かないけど、

意識は保たれているその男性が、

家族を呼ぶことを要求し始めました。

 

こちらとしても、

家族には来ていただきたいので、

再三に渡って連絡をとっていたのですが、

なかなか連絡は取れませんでした。

 

今ほど、

携帯電話が発達していなかったし、

借金取りに追われて、

自宅には居なかったからです。

 

その旨を、

男性に伝えましたが、

 

「そんなはずはない。連絡取っているなんて嘘だろう。そこの電話(内線専用)を貸せ」

 

と、

まったく取り合いませんでした。

 

男性のベッドの近くにあるコードレスホンは、

内線専用で、

外線はかけられないことを説明しましたが、

 

「そんなはずはない。そんなことがあるはずない」

 

と、

結果は同じでした。

 

以後も、

自分の主張のみを、

大声で叫び続け、

こちらのことには、

一切耳を貸しませんでした。

 

この頃、

私は20歳台後半でしたが、

堪忍袋の緒が切れて、

本当は言ってはならないのでしょうが、

こう言ってしましました。

 

「あなたが、こんなこと(自殺を図る)をしなければ、こんなことにならなかったでしょう。こういう結果になったのは、あなた自身の責任ではないですか?いい大人なら、人のせいにするのではなく、自分で責任を取ったらどうですか?」

 

このあと、

男性は少しの間静かになりました。

 

さすがに、

痛いところを突かれたと、

思ったのだと思います。

 

しかし、

すぐに、

元に戻りました。

 

でも、

私に対しては、

あまり無理を言わなくなりました。

 

「こいつに言っても無駄だ」

 

とでも、

思ったのだと思います。

 

この時、

救命救急センターに50余名、

看護師が居ましたが、

男性は私だけでした。

 

女性の看護師には、

無理難題を言い続けていたので、

私と、

他の看護師で、

対応を変えたのは、

明らかでした。

 

その後、

取り立てをかいくぐって、

家族は、

無事見舞いに来ました。

 

しかし、

その男性は、

取り立てに追われている家族を、

気遣う言葉もなく、

男性の体調を心配する家族に対して、

偉そうな言動を、

とっていました。

 

要はこの男性、

元々、

他人の言うことに、

まったく耳を貸さない、

人物なのでです。

 

パン屋さんは、

元からパン屋さんを目指している人でも、

成功するのは、

なかなか難しいものです。

 

脱サラして、

パン屋をしたいと、

家族に話した時、

みんな反対したそうです。

 

そりゃそうです。

 

高校生の娘、

そして中学生の息子が居て、

これから学費など、

お金がかかるのです。

 

なぜ、

こんな時に、

安定よりも危険な挑戦をするのか。

 

まったく、

理解できません。

 

家族以外の、

近しい人も、

みんな反対したそうですが、

その人たちの意見も、

その男性には、

まったく届きませんでした。

 

店の場所にしても、

お金の問題が大きいのでしょうが、

繁華街から離れた、

大きな通りから路地に入った、

目立たないところに構えたようでです。

 

元々、

パン屋を目指した人でも、

そんなところで儲けようと思ったら、

余程のものをつくらないと、

客は来ません。

 

しかも、

この男性、

パン屋での修行も、

ほとんどやらなかったそうです。

 

そりゃ、

失敗するはずです。

 

これで、

成功すると思っていたら、

元からパン屋を目指した人を、

バカにしているとしか思えません。

 

もし、

どうしてもやりたいのであれば、

子供2人が独立したあとか、

定年後にでも、

やるべきです。

 

それでも、

うまくいくとは、

到底思えませんが・・・

 

性格的なものも、

要因のひとつだと思います。

 

何事も、

成功をおさめようと思えば、

他人の意見に、

真摯に向き合うべきなのです。

 

この男性のように、

誰の意見にも耳を貸さず、

自分が一番正しいと思って、

突き進む人物は、

ほぼ失敗します。

 

このブログを読んだ諸氏にも、

新しいことを始めるには、

綿密な計画を練ることと、

他人の反対意見に、

耳を傾けることを、

お勧めします。

 

かく言う私、

新しい仕事は、

自分には合っていると思う反面、

大変なことも多いので、

 

「この判断は正しかったのか」

 

と、

自問自答しています。

 

それぐらい、

お金を稼ぐということは、

簡単ではないということです。

 

しかし、

この男性、

退院したところまでしか知らないのですが、

今どうしているのか、

気になるところです。

近畿中央病院の男性看護師去就状況

男性は、

一度就職したら、

定年まで同じところで働くのが当然だというのが、

昔の日本の考えです。

 

現代では、

だいぶ変わってきましたが、

それでも、

根強く残っている、

古い考え方です。

 

これが、

サラリーマンなど、

免許職でないのなら、

まだわかる話でしが、

現代では、

逆にサラリーマンのほうが、

蓄えたスキルを活かして、

転職して、

次のステップに進むことが、

多くなっています。

 

免許職たる看護師においても、

また然りだと思うのですが、

看護師の世界のほうが、

保守的というか、

昔の日本の考えを、

引きずっているように思えます。

 

私は、

近畿中央病院に来るまでに、

のべ20ヶ所以上の病院の採用試験を受けましたが、

ことごとく不採用でした。

 

面接で聞かれるのが、

 

「どうして前の病院をお辞めになったのですか?」

 

です。

 

聞かれて、

当然なのはわかりますが、

経験を積んできた者、

しかも看護師免許を持っている者が、

スキルアップのために転職を希望しているのは、

明らかなのですから、

それを改めて聞くのは、

時間の無駄以外の、

何ものでもないと思います。

 

前にも話した通り、

看護師とは、

経験を積めば積むほど、

価値が下がっていきます。

キャリアを積むほど評価が下がる不思議な看護師の世界 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

例えば、

私と若く経験の浅い看護師が、

同じ採用試験を受けたとして、

病院側が採用するのは、

若い方の看護師なのです。

 

要は、

経験値よりも、

コストを取ったということです。

 

一般社会では、

考えられないことです。

 

一般社会では、

いくらコストが高くても、

能力があれば、

例え50歳代でも、

転職できます。

 

能力至上主義のアメリカでは、

それが当たり前です。

 

そういう意味では、

日本はまだまだ遅れているのです。

 

というか、

一度就職したら、

定年まで同じところで働くのが当たり前という、

古い考え方が、

根強く残っているからに、

ほかありません。

 

しかし、

終身雇用制は、

もはや崩壊しているのですから、

そんな古い考えは、

早く捨てるべきです。

 

そういう意味では、

30歳代後半だった私を雇った近畿中央病院は、

それまでの古い考えにとらわれない、

思考を持っていたのかもしれませんが、

単に、

本当に看護師が不足していただけなのかもしれません。

 

いずれにせよ、

看護師が不足していて、

応募してきた者が居たら採用する。

 

その流れは、

評価できると思います。

 

看護師不足なのに、

選り好みして、

不採用にするなど、

一般の人からみたら、

理解できないはずです。

 

しかし、

そういうことは、

横行しています。

 

前にも言いましたが、

自分で自分の首を絞めているだけなのです。

 

病院の、

看護師不足を生み出しているのは、

他ならぬ病院自体なのです。

 

若い看護師がほしいのに、

若い看護師に辞めないでほしい。

 

じゃあ、

その欲しい人材は、

一体どこから来るのですか?

 

・・・という話です。

 

若い看護師が、

他の病院を辞めなければ、

そういう人材は生まれないのです。

 

これが、

以前に話したことで、

近畿中央病院は、

他の病院の、

 

「若手看護師養成供給施設」

 

となっており、

近畿中央病院を3~5年ぐらいで辞めた看護師が、

他の病院に流出する結果となっています。

 

前置きが長くなりましたが、

ここから本題。

 

私が、

近畿中央病院に就職した2008年、

男性看護師は、

以下の者が在籍していました。

 

看護師長SMN(定年退職済)

主任・古川睦(現・看護師長)

YSFK(現・副師長)

S(現・副師長)

疑惑の認定看護師/受講資格は本当にあったのか? - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

中嶋紀浩

他、2名(いずれも退職済)

 

古川以下、

中嶋紀浩以上は、

現在も在籍しています。

 

注目すべきは、

名前を忘れてしまったのですが、

 

「他、2名」

 

です。

 

2名とも、

当時、

呼吸器内科の病棟に所属していました。

 

病棟再々編前だったので、

5階の病棟でした。

 

1名は、

私より年上で、

どうやら私が、

阪大病院を受けた時に、

その人も居たようです。

 

向こうが、

そんなことを、

私に話してきました。

 

最初に受けた時か、

その約10年後に受けた時かは、

わかりませんが・・・

 

もうひとりは、

私よりも5歳以上年下でした。

 

結婚していて、

子供が生まれたばかりでしたが、

先に話した人と同じタイミング(年度末)に、

近畿中央病院を辞めていきました。

 

家庭があって、

子供が生まれたばかりなのに辞める、

余程の決断がないとできないことだと思いますが、

その決断をしてでも辞めていくというのが、

近畿中央病院というところです。

 

中途採用で来たのは、

以下の通りです。

 

整形外科に1年在籍した勘違い看護師

BND

何しに来たんだ!/嵐のように去っていった男性看護師 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

HR

「あそこには皆さんの個人情報が入ってるから」元副看護部長・内田の場合 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

昔のイケメン風看護師

MZKM

人を見る目のあるやつはどこに居るんだ!・近畿中央病院/病棟師長HYSDの場合② - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

看護師は清潔感が大事 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

手洗いの話 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

一番上に書いた人物は、

自分のことを、

 

「デキル」

 

と勘違いしている奴で、

1年で、

近畿中央病院を去っていきました。

 

ただ、

勘違いはしていたけど、

私のことは、

先輩として扱っていた、

常識的なところは、

持ち合わせていました。

 

面接で、

 

「救急看護の認定を取れる」

 

という、

看護部長の言葉に騙されて、

近畿中央病院に就職したものの、

当時の救急がショボかったため、

それに嫌気がさして辞めたのです。

 

彼も、

家庭を持っていて、

子供も居たらしいですが、

その立場で、

よく転職を繰り返せるものだと思いました。

 

BNDは、

1年満たないうちに、

辞めていきました。


来て早々、

新人にちょっかいを出したり、

病院のやり方を批判するなど、

常識のない人間でした。

 

この中では、

唯一HRだけが、

今も近畿中央病院に在籍しています。

 

彼は、

若いけれど、

ごく常識的な人間で、

近畿中央病院にはもったいない人材です。

 

「昔のイケメン風看護師」

 

は、

流れ流れて近畿中央病院にたどり着いたみたいですが、

地元のに帰るために、

近畿中央病院を辞めました。

 

ただ、

公立学校共済組合の、

地元に近い他の病院に、

異動というかたちをとったのかもしれません。

 

彼も、

人間的にも良い人材でした。

 

MZKMは、

このブログでも何度も登場しています。

 

私は、

信用していませんでしたが、

やはりそんな人物でした。

 

その他、

新人が毎年2~3人ぐらい入るようになりましたが、

前に話したKUNをはじめ、

1~2年で辞める看護師が、

毎年と言っていいほど1人は、

見受けられます。

新人看護師・若い看護師の退職状況/わかる範囲内で・近畿中央病院 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

以上のように、

男性であっても、

こと看護師という職業は、

なかなか定着しないものなのです。

 

特に、

近畿中央病院においては。

 

もちろん、

ひとつのところで、

定年まで居られたら、

それに越したことはないのでしょうが、

看護師にもスキルアップは求められます。

 

今居るところで、

自分の希望するスキルアップがはかれないのであれば、

他に行くしかないのです。

 

そのあたり、

もっと看護協会あたりが主導して、

転職がしやすい状況にできないものかと、

思ってしまいます。

 

転職に苦労した、

私だからこその意見です。

怒りの矛先を看護師に向ける放射線技師/理不尽にも程がある!

現在では、

女性も増えてきましたが、

放射線技師と言えば、

男性中心の世界です。

 

そういう意味では、

看護師と正反対です。

 

男性ということで、

一度その施設に就職したら、

定年まで居続けるのが、

ほとんどだと思います。

 

個性も強く、

様々な人間性を持った人が居ます。

 

患者から、

 

「先生」

 

と言われて、

否定することもなく、

まんざらでもない感じの人が居ます。

 

そのためか、

看護師に対しても、

 

「自分は医者と同等だ」

 

といわんばかりの態度をとる輩も、

少なからず存在します。

 

いざ患者から、

病気のことに関して、

突っ込んだ質問をされて、

その返答に困って、

 

「医者ではないので・・・」

 

と言って逃げる始末です。

 

 

前にも言ったように、

医療職において、

特別なのは医者のみで、

あとは優劣の差などなく、

横一線だと、

私は思っています。

 

放射線技師が、

看護師を下に見るなど、

言語道断だと思います。

 

放射線技師も、

偉そうにしている割に、

結局看護師が居ないと、

仕事ができない人も居るし、

患者の対応で困ったら、

看護師を頼るのですから。

 

そこは、

お互い様ですから、

看護師も協力は惜しみませんが、

なら放射線技師も、

大きな態度は、

慎むべきだと思います。

 

大阪弁で言う、

 

「イラチ」

 

の人も居ます。

 

「イラチ」

 

とは、

わからない人のために解説すると、

少しのことで、

イライラしてしまう人のことです。

 

そんな、

 

「イラチ」

 

放射線技師から、

理不尽なことを言われたエピソードを、

話したいと思います。

 

ある日私は、

放射線科において、

心臓CT(MDCT)の、

介助についていました。

 

心臓CTの枠は、

確か毎週月曜日の、

午後に設定されていました。

 

ちなみに、

他の造影CTは、

月~金の午前中に、

設定されています。

 

心臓CTは、

造影剤を使って、

冠動脈の撮影を行うものです。

 

末梢ルートの確保は、

循環器内科の医師が行います。

 

そして、

ルートは、

いわゆる

 

「ダイナミックルート」

 

が使われます。

 

これは、

Y字になったルートの一方に造影剤、

もう一方に、

シリンジ(注射器)に吸った生理食塩水を接続します。

 

残りを、

患者側に接続します。

 

まず、

造影剤を患者の体内に注入し、

続いて、

造影剤の後押しのために、

生理食塩水が注入されます。

 

そして、

撮影へと進んで行きます。

 

これが、

心臓CTの大まかな流れです。

 

この日、

心臓CTの、

ルート確保担当は、

このブログに以前登場した、

循環器内科の部長でした。

私の循環器内科医師に対するイメージを良い意味で変えた/近畿中央病院・循環器内科 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

医師の異例の行動/看護師の目に余る言動に苦言! - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

この部長、

ルート確保は上手なのですが、

この時は珍しくてこずっていました。

 

それでも、

無事ルート確保ができ、

Y字ルートに接続されている生理食塩水を使って、

ルートの確保がきちんとできているかを、

確認します。

 

Y字に接続された、

造影剤と生理食塩水のシリンジは、

ポンプにセットされています。

 

前室からの操作で、

注入が行われるのですが、

室内のポンプ本体でも、

直接操作ができます。

 

本体にあるレバーを操作することによって、

ポンプが作動し、

生理食塩水が注入されます。

 

ルート確保が、

確実に行われているかの確認は、

 

「逆血」

 

つまり、

血が返ってくるか否かでわかります。

 

生理食塩水がセットされている、

ポンプのレバーを、

注入とは逆側に操作すると、

注入ではなく引くことになるので、

ルートが確保されていれば、

血液が返ってきます。

 

血液が返ってきたら、

レバーを注入する操作を行って、

その血液を体内に戻して、

準備は完了となります。

 

医師・看護師は、

部屋から退室して、

前室に異動して、

撮影が始まります。

 

しかし、

この時は、

循環器内科部長が、

レバーを操作しても、

なかなか血液が返ってきませんでした。

 

何回か操作しているうちに、

血液が返ってきました。

 

そして、

その返ってきた血液を、

体内に戻す操作をすると、

生理食塩水が、

全部なくなってしまったのです。

 

ぞして、

前室に居た、

この日の心臓CT担当の放射線技師Fが、

私にこう言いました。

 

「(私の名前)君、生食(生理食塩水)がないやんか。なんでや?早くつないで」

 

は?

 

いつも冷静な循環器内科部長が、

逆血がないことによって焦り、

極端なレバー操作をしたことで、

生理食塩水がなくなったのです。

 

私は、

何もしていません。

 

その様子を、

見守っていたので、

生理食塩水がなくなったことは、

わかっています。

 

通常、

生理食塩水を、

追加で使用することはないので、

予備を注射器に吸っておくようなことも、

していません。

 

無駄ですから。

 

昼間、

事務棟の廊下の電気を消すぐらい、

節約している近畿中央病院において、

使うかどうかわからない生理食塩水の予備を、

注射器に吸っていたら、

上から何を言われるか、

わかったものではありません。

 

私は、

すぐに注射器に生理食塩水を吸って、

空の注射器と交換しました。

 

これ、

おかしくありませんか?

 

なぜ私が、

放射線技師から注意を受けなければならないのか?

 

生理食塩水を空にしてしまったのは、

焦って極端なレバー操作をした、

循環器内科の部長です。

 

言うのなら、

その部長に言うべきです。

 

しかし、

医者にはモノを言えないから、

その矛先を私(看護師)に向けてきたのです。

 

これも、

他の看護師には、

言わなかったと思います。

 

言いやすいから言う、

そんな理不尽なことが、

ここでもまかり通ったのです。

 

言い返しても良かったのですが、

私は、

近畿中央病院に来て間がなかったので、

言いませんでした。

 

いや、

 

「言えませんでした」

 

というのが、

正しいと思います。

 

言ったところで、

どうなるものでもありませんから。

 

近畿中央病院の放射線技師は、

全員とは居ませんし、

大半はそうではないのでしょうが、

自分が一番正しいと思っている人が、

数人居ます。

 

放射線技師Fは、

イラチな人で、

自分が思っているように事が運ばなかったら、

例え患者にでも、

意見を言うところがあります。

 

仕事に熱心なのはいいですが、

そういうところは、

直すべきだと思いますし、

モノを言うのであれば、

それが例え医者に対してであっても、

言うべきだと思います。

 

医者には言わず、

看護師でも、

来て間がなく、

私が男だから、

言いやすいから言う、

それではダメでしょう。

 

以前登場した、

私の看護師の師匠のひとりであるKMTさんが、

 

「ここの放射線技師は、女々しい人が多い。逆に、女性の技師のほうが、さっぱりしてて男前だ」

 

と、

近畿中央病院の放射線技師を、

評していました。

 

長く、

近畿中央病院の放射線技師と一緒に、

仕事をしてきた、

近畿中央病院の生き字引とも言える、

KMTさんの評価は、

信憑性が高いと思います。

 

ちなみに、

今回話したことと同じことがあって、

その時の看護師がKMTさんなら、

Fはきっと何も言わなかったと思います。

 

放射線技師なんぞ、

所詮それぐらいの、

小心者でしかないのです。

 

言うのであれば、

相手が例え医者であっても、

院長であっても言え。

 

もし、

医者に言えないのなら、

誰に対しても言うな。

 

それが、

私が、

看護師に対して理不尽なことを言う者に対する、

提言です。

番外編・推しメンの卒業

今週も、

月~金の仕事が終わり、

無事週末を迎えました。

 

仕事の方は、

まだまだですが、

引き続き、

頑張っていきたいと思います。

 

看護師の頃は、

月~金の5連勤なんて、

耐えられませんでしたが、

今の仕事は、

苦になりません。

 

そう考えたら、

近畿中央病院から、

 

「要らない」

 

と言われた時点で、

さっさと転職しておけばよかたっと思います。

 

前置きは、

これぐらいにして、

本題へ。

 

以前に、

話した通り、

私のSKE48の推しメンのひとり、

深井ねがいちゃんが、

1月31日をもって、

グループから卒業しました。

f:id:express_habana:20220204222412j:plain

 

通常、

メンバーが卒業する時には、

 

「卒業公演」

 

が行われるのですが、

SKE48のメンバーに、

新型コロナ感染が相次ぎ、

公演自体が中止されているので、

 

「卒業イベント」

 

というかたちで、

行われました。

 

もちろん、

行きたかったのですが、

1月31日は、

安定の平日ということで、

応募することすら、

できませんでした。

 

昨年、

体調不良を理由に、

活動を中止し、

復帰した12月23日の劇場公演で、

卒業を発表したので、

てっきり芸能界自体、

辞めてしまうのかと思っていました。

 

しかし、

新たに事務所に所属して、

女優を目指すということで、

嬉しい限りです。

 

会う機会は、

なくなるかもしれませんが、

引き続き、

 

「女優・深井ねがい」

 

を、

応援したいと思います。

 

最初に、

 

「深井ねがいちゃん」

 

と、

 

「ちゃん」

 

付けで呼びましたが、

1月16日で、

19歳になりました。

 

以下の画像のような、

幼いころから知っているので、

ついついそう呼んでしまいます。

f:id:express_habana:20220204223538j:plain

 

あと1年在籍して、

SKEで成人式を迎えてほしかったですが、

SNSが発達している今、

きっと、

晴れ姿を、

発信してくれることと思います。

 

これからの活躍に、

期待です。

番外編・一番身近なのにメジャーになれない乗り物・・・バス/それは一部の心の狭い運転手のせい

私は、

幼いころから、

乗り物が好きです。

 

幼い頃は、

鉄道とバスが好きでした。

 

小学校に上がる前に、

京都から大阪に引っ越して、

身近に船が見に行ける環境になって、

船も好きになりました。

 

そして、

スノーボードをしに行くために、

飛行機に乗ってから、

飛行機も好きになりました。

 

そんな、

数ある乗り物の中で、

我々に一番身近なのは、

バスだと思います。

 

鉄道は、

線路の近くに住んでいる人は別として、

駅に行かなければ乗れません。

 

一方バスは、

近くの道路を走っている場合が多いので、

一番身近と言っていいと思います。

 

ただ、

利用者の減少から、

路線も廃止が相次いでいるのも、

また事実です。

 

こんな、

一番身近な乗り物であるにもかかわらず、

いまいち人気に欠けるのが、

またバスであるのです。

 

鉄道に比べて、

 

「バスが好きだ」

 

という人は、

かなり少ないのが、

現実です。

 

そんな背景には、

ごく一部の、

心無いというか、

心の狭い運転手の存在が、

あると思います。

 

今から話すことは、

2017年の11月に、

私が体験した出来事です。

 

私は、

2019年まで毎年、

1週間前後の休暇を取得して、

関東方面への旅行に行っていました。

 

2020年は、

結核に罹患した影響で、

2021年は、

コロナや、

結核の再発、

そして仕事が決まっていない状況だったので、

行けませんでした。

 

東京に宿を取って、

毎日近隣の県に、

観光に行くのです。

 

それが、

毎年の、

恒例になっていました。

 

そして、

毎年のように訪れるのが、

千葉の安房鴨川です。

 

11月は、

海に入れるわけでもなく、

鴨川シーワールド以外、

特に何もないのですが、

バスに乗る目的だけで、

訪れることがほとんどです。

 

私は、

鉄道とバスが両方ある場合、

なるべくバスを使うようにしています。

 

鉄道は、

めったなことが無い限り、

廃線にはなりませんが、

バスは、

利用者が少なければ、

簡単に廃線になります。

 

それを防ぐために、

極力バスを使うのです。

 

私には、

大好きな路線があって、

木更津と安房鴨川を結ぶ急行バスが、

それなのです。

 

この時も、

この路線を使って、

木更津から安房鴨川入りしました。

 

この路線は、

当時、

鴨川日東バスが運行していました。

 

鴨川日東バスは、

その後、

親会社の日東交通に合併されて、

今に至ります。

 

元々、

鴨川日東バス自体、

日東交通鴨川運輸営業所の、

路線バス部門を分社したものだったので、

再度吸収合併されたかたちです。

 

この時の、

安房鴨川訪問には、

目的がありました。

 

それは、

訪問の少し前に開業した、

安房鴨川と東京の渋谷を結ぶ高速バスに、

乗ることでした。

 

後に、

 

「シーバレー号」

 

という愛称が、

ついています。

 

この時は、

先行開業のかたちでしたが、

2019年に、

本開業となって、

本数も激増しました。

 

関東圏は、

中距離の高速バスが発達していて、

このコロナ禍でも、

新規路線が開業するほどです。

 

この路線の始発は、

地元の巨大病院・亀田病院です。

亀田総合病院 (kameda.com)

 

ここに、

立派なバスロータリーが整備されていて、

高速バスはほぼすべて、

ここから発着します。

 

前述の急行バスも、

亀田病院が終点だったので、

木更津から乗り通して、

渋谷行きに乗り換えるつもりでした。

 

乗り換えには、

少し時間があったので、

ロータリーに止まっている、

バスの写真を写して、

時間を潰しました。

 

私は、

当ブログの他に、

バスのブログもやっているので、

そのネタを収集したのです。

express_habanaのブログ (hatenablog.com)

 

渋谷行きの出発時間が近づき、

私は乗り場に行き、

並びました。

 

そして、

バスが入線してきたので、

バスの写真を写しました。

 

ドアが開き、

乗り込もうとすると、

運転手が、

私にこう言いました。

 

「今、写真撮ってたやろ。そんなの、許可取ってもらわんと。画像を消してください」

 

こういうことを言う運転手が居るという噂は、

聞いたことがありました。

 

しかし、

実際に私自身が、

こういうことを言われたのは、

初めてでした。

 

旅の思い出だし、

本当は消したくありませんでしたが、

今から乗るバスだし、

揉めたくなかったので、

指示に従い、

画像を消しました。

 

そして、

バスに乗り込んだのですが、

運転手が、

意外そうな表情をしていました。

 

乗らないとでも、

思ったのでしょうか?

 

私は、

乗るために並んでいたのであって、

その乗車記録として、

写真を撮ったのです。

 

意外でも、

何でもありません。

 

そして、

席が空いていたら、

一番前に座るのが、

私の主義です。

 

始発だったので、

当然一番前の席は空いていたので、

ドア側の一番前の席に座りました。

 

ちなみに、

私の他に乗客は、

中年女性一人だけで、

結局途中からも、

誰も乗ってきませんでした。

 

夕方発なので、

そんなものなのかもしれません。

 

乗車中も、

運転手が、

ミラー越しに、

私の様子を見ているのがわかりました。

 

その運転手は、

車内に掲示されている名札から、

 

「渡邊」

 

という名前であることがわかりました。

 

そして、

渋谷のマークシティにある、

バスターミナルに到着。

 

私は、

乗せてもらった礼儀として、

 

「ありがとうございました」

 

と言って、

バスを下車しました。

 

渡邊は、

私のその言葉にも、

意外そうな表情をしていましたが、

 

「ありがとうございました」

 

と、

返しました。

 

私は、

マークシティでも、

バスの写真を撮ろうと思っていたので、

バスを降りたあと、

壁のところに立っていました。

 

すると渡邊は、

バスのドアを開けたまま、

しばらくこちらを見ていました。

 

本来なら、

2人しか居ない乗客を降ろしたら、

すぐに回送するところです。

 

そして、

バスは去って行き、

私は、

バスの写真を撮ったあと、

御徒町の宿に帰りました。

 

しかし、

宿に帰ってから、

無性に腹が立ってきて、

鴨川日東バスに、

メールを送りました。

 

内容としては、

 

「こういうことがあったが、渡邊から、運行管理者に対して、報告があったか?」

 

というもの。

 

翌日、

別のところを旅している時に、

返信がありました。

 

「報告はありました。渡邊本人も、『言い過ぎた』と反省しているので、許してください」

 

との内容でした。

 

いやいや・・・

 

反省するのなら、

最初から言わなければいい話で、

消すことになった画像は、

2度と戻ってこないのです。

 

それなら、

 

「こういうことがあったが、自分は正しい行動をした」

 

と報告したほうが、

画像を消すことになったことが、

まだ納得できます。

 

到底納得できないので、

私は再度メールを送りました。

 

「この内容では、到底納得できません。旅の思い出は、2度と帰ってこないのです。そのことを、どう思われているのでですか?これがもし、子供や女性なら、きっと渡邊は、何も言わなかったでしょう。中年の男だから言う、こんな差別があっていいのですか?そもそも、車内に名前を掲示して、顔を晒して運転している時点で、バスの運転手は『半公人』です。鉄道の運転士が、自分の運転する車両の写真を撮られて、目くじらを立てて怒っているのを、見たことがありますか?むしろ、喜ばしく思っているはずです。こんなのだから、バスはいつまでたっても、メジャーにならない(ファンが増えない)んですよ」

 

しかし、

2022年1月30日現在、

返事はありません。

 

この件は、

以降のこの旅に、

暗い影を落としました。

 

どこに行っても、

心から楽しめず、

写真を撮るのも怖くなり、

この件以降のこの旅では、

バスの写真は撮りませんでした。

 

ごくごく一部の運転手の、

心無い言動のせいで、

こうなってしまったのです。

 

このバスに乗る前に乗った、

急行バスの運転手も、

同じ鴨川日東バスの所属でしたが、

運転も接客も素晴らしかったので、

余計に残念に思いました。

 

我々は、

車両に興味があるのであって、

運転手には、

興味がありません。

 

写真を、

ブログに挙げる時は、

運転手を含めた人物には、

すべてモザイクをかけます。

 

個人の車のナンバーも、

消すようにしています。

 

これで、

問題はないはずです。

 

昨今、

鉄道の撮影マナーが問題になっていますが、

バスもまた然りのようです。

 

私は、

車庫内など、

許可が必要なところでは、

許可を得ています。

 

最近は、

許可が下りないようなので、

車庫外の公道から撮ったり、

バスターミナルなど、

公共の場所から撮るようしています。

 

最低限のマナーは、

守っているつもりです。

 

それを、

無法者と一緒にされたのでは、

たまったものではありません。

 

今回の渡邊は、

乗客に理不尽なことを言って、

勝手に反省して、

とんずらしました。

 

この、

反省したことも、

私がメールをしたからわかったのであって、

泣き寝入りしていたら、

わからなかったことです。

 

そのことを、

旧・鴨川日東バスは、

特に当事者たる渡邊は、

どう思っているのでしょうか。

 

是非とも、

聞いてみたいものです。

 

何回も言いますが、

渡邊のような運転手は、

ごくごく一部だと思います。

 

熊本の、

九州産交バスの運転手は、

私があべので、

夜行バス「サンライズ」の撮影をしていたら、

 

「中も撮るか?」

 

と声をかけてくれて、

中の撮影をさせてくれました。

 

千葉のちばフラワーバスの運転は、

バスの撮影をしていたら、

車内からピースサインをしてくれたし、

乗客が居ない車内では、

いろいろ話しかけてくれました。

 

こういう、

良い運転手がほとんどでしょうが、

ごくごく一部のDQN運転手のせいで、

イメージというものは、

悪くなるものです。

 

それは、

看護師の世界にも、

通じるものがあります。

 

旧・鴨川日東バスが、

吸収合併に至った経緯には、

少なからず、

今回のようなことが、

影響しているように思えます。

 

客を、

そしてファンを大事にしない会社の末路など、

たかだか知れているのです。

 

こんなことがあって、

翌2018年は、

鴨川日東バスに乗るのをひかえようと思いましたが、

安房鴨川が好きで、

急行バス・木更津-安房鴨川線が好きな私は、

結局乗ってしましました。

 

その翌年の、

2019年もです。

 

乗ったバスの運転手が、

渡邊であったなら、

文句のひとつでも言ってやろうと思いましたが、

出会えずじまいです。