看護部本日モ反省ノ色ナシ

看護師を中心に医療界の変なエピソードを話していきます

私は看護師をしておりますが まあおよそ一般社会では通用しないことがまかり通る それが看護師の世界です そんな看護師のエピソードとともに 医療界(病院)の変なことも話していきたいと思います

労災の軌跡Vol.18・手術室が無理だった本当の理由/それは根本的な問題!

今日は休日で、

仕事が休みなので、

新しい記事を書きます。

 

このブログは、

そもそも、

近畿中央病院において、

私が労災により、

結核に罹患した経緯、

そして、

その後の近畿中央病院の、

理不尽な仕打ちについて、

告発することを目的としています。

 

ですから、

本当は、

もっとそのことについて書きたいのですが、

この件について書く時には、

時間をかける必要があるので、

なかなかできない現状です。

 

この件は、

読者のみなさんにも好評のようで、

この件の時の訪問者数は、

格段に増えます。

 

ということで、

今回は、

本来の目的に関連したことを、

話題にしたいと思います。

 

2020年の、

5~7月頃に行われた、

病院側(事務長・竹田、看護部長・前田正美、看護師長・古川睦、他)との話し合いで、

元々所属していた6階西病棟ではなく、

手術室での復帰を打診されました。

 

これは、

私の体を考慮した結果というのが、

病院側の主張でした。

 

この頃、

呼吸器内科メインである6階西病棟は、

コロナ病棟と化していて、

基礎疾患があり、

呼吸器疾患(結核)の既往がある私には、

易感染性があるから危険だというのが、

表向きの理由です。

 

しかし、

これは、

今までにも繰り返し述べてきたように、

あくまでも、

 

「表向き」

 

の理由です。

 

本当の理由は、

世の中に対して、

私が労災で結核に罹患したことを、

せっかく隠ぺいしたのに、

もしコロナに感染し、

基礎疾患があるがために死に至ったら、

今度こそ公表せざるを得なくなるからです。

 

つまり、

私のためではなく、

病院の体面のためなのです。

 

そんなことは、

この打診を聞いた時、

すぐにわかりました。

 

そのことを指摘したら、

一同無言になったので、

図星だと思います。

 

古川睦など、

途中から、

話し合いにすら出て来なくなりました。

 

本来、

院内に居てはならないはずの結核患者を放置し、

その結果私に結核に罹患させた責任は、

病棟の管理者たる病棟師長・古川睦にも、

絶対にあるはずです。

 

なのに、

途中から来なくなるとは、

責任逃れも甚だしいと思います。

 

まあ、

所詮そんな者しか居ないのが、

近畿中央病院というところだと思います。

 

本来なら、

 

「俺(古川睦)が、最後まで責任を取って面倒見る」

 

というのが、

普通だと思うのですが、

要は、

そんな度量もない人間ということです。

 

ちなみに、

前田正美が、

他の部署にも打診したようですが、

どの部署も断ったそうです。

 

その理由は、

私が、

このブログを始める前に、

TwitterなどのSNSで、

病院や看護師の批判をしたことだそうです。

 

しかし、

いつも言うことですが、

言われるようなことをするから言うのであって、

言われたくなければ、

言われるようなことをしなければいい話です。

 

言った側を批判するというのは、

 

「逆ギレ」

 

以外の何ものでもありません。

 

自分たちの、

間違った言動を反省することなく、

正論を唱える者を批判するのも、

 

「近中クオリティ」

 

です。

 

前田正美曰く、

 

「自分たちも言われるのではないかと、皆、戦々恐々としている」

 

とのことですが、

それこそ、

言われたくなければ、

言われるようなことをしなければ、

いい話です。

 

前田にも、

そう言って論破しました。

 

前田は、

返す言葉が無く、

黙っていました。

 

また、

各部署の責任者(看護師長)が、

私の受け入れを拒否しましたが、

そんなの、

前田が指導力を持って、

 

「受け入れなさい」

 

と言えばいい話ではないでしょうか。

 

なぜ、

部下に拒否されて、

あっさり引き下がるのか。

 

それは、

前田正美の、

人望の無さ、

そして指導力の無さに、

起因していると思います。

 

そうでなければ、

看護部長の依頼を、

部下の看護師長が断るというのは、

おかしな話です。

 

打診ではなく、

命令ができる立場の人間が、

それをできない・・・

 

おかしな話です。

 

しかも、

私は、

不祥事を起こしたわけではありません。

 

病院の、

HPの記載は、

如何にも私個人の不祥事のように書かれました。

 

しかし、

私は、

普通に、

なんなら同僚にコキ使われながら、

一生懸命働いていたのです。

 

病院が、

本来近畿中央病院に、

入院していてはならない結核患者を、

適切に発見し、

速やかに専門病院に転院させていれば、

私が結核にかかることは、

なかったと思います。

 

ですから、

この件は、

あきらかに、

近畿中央病院の過失なのです。

 

それが、

自分たちでもわかっているから、

私がこの件をこれだけ告発し続けても、

逆に何も言えないのです。

 

なぜなら、

裁判に持ち込まれたら、

困るからです。

 

常に、

いくつかの訴訟を抱えているようなので、

これ以上の面倒は困るのです。

 

前にも言いましたが、

訴訟をちらつかせたら、

事務長・竹田の態度が、

180度変わりました。

 

竹田は、

私が民事で訴えると思っていたようですが、

それは違います。

 

「業務上過失致傷」

 

という、

刑事事件にするつもりでした。

 

今からでも、

遅くはないのですが、

近畿中央病院は、

 

「どうせやらないだろう」

 

と、

たかをくくっています。

 

時効もあることですし、

就職して、

公立学校共済組合の、

任意継続の保険証を終了になったことによって、

近畿中央病院と、

完全に縁が切れたので、

もう関わりたくない思いがあります。

 

ただ、

私がこうして発信していることに対し、

顧問弁護士を使って圧力をかけてきたら、

その報復として、

必ず告訴します。

 

話が逸れましたが、

この話題は久々なので、

これまでのおさらいも兼ねて、

述べました。

 

各部署の看護師長が、

私の受け入れを拒否しましたが、

 

「12年働いてきてコレか」

 

と思いました。

 

先に述べたように、

不祥事を起こしたわけでもなく、

私に落ち度があったわけでもなく、

私は、

ただ一生懸命働いていただけです。

 

看護師など、

普段は、

 

「患者のため」

 

とかほざいているけど、

同僚が病気になったら、

本当に冷たいものです。

 

これは、

近畿中央病院だけなのか、

それとも、

看護師という職業がそうなのか。

 

私は、

後者だと思います。

 

で、

唯一受け入れをOKしたのが、

手術室の看護師長でした。

 

この人が、

常識のある良い人であることは、

以前から認識していましたが、

こういう時に、

それが本当であたっと、

再認識できるものです。

 

打診されたのは、

5~7月の話し合いでしたが、

前にも話した通り、

私には、

他院でも手術室の経験がなく、

不安は大きなものでした。

 

病み上がりの体で、

不安が大きな状態。

 

気持ちの準備期間を取るために、

2020年10月1日から、

復帰することにしました。

 

しかし、

以前に述べた通り、

不安は予想以上に的中し、

心身ともに疲れ果て、

結局自ら退職を申し出ました。

 

まんまと、

病院側の作戦にはまりました。

 

自分たちから、

 

「辞めろ」

 

とは言えないので、

こちらに、

 

「辞める」

 

と言わせるように、

し向けたのです。

 

何度も何度も、

繰り返し言うことですが、

おかしな話です。

 

近畿中央病院の不手際により、

病気にさせられた私が、

近畿中央病院から謝罪の言葉もなく、

一銭の慰謝料も貰うことなく、

追い出されたのですから。

 

「労災から治療費が出ただろ?」

 

という人が居るのですが、

これもおさらいで述べます。

 

結核の治療費は、

元々公費から出るので、

多少の違いはあれど、

労災だろうが公費だろうが、

基本的には自己負担はないのです。

 

しかも近畿中央病院は、

退院後の通院を近畿中央病院にさせて、

労災から通院費を取ろうとしていたのです。

 

それが嫌なので、

私は、

入院していた病院に、

通院することにしました。

 

なんで、

近畿中央病院に、

儲けさせてやらなければならないのか。

 

バカでも、

わかる話です。

 

私が、

手術室が無理だった話は、

以前にしているので、

過去の記事を参照してもらえばいいのですが、

それとはまた違う、

根本的な理由があるのです。

 

同じ看護師でも、

病棟の看護師と手術室の看護師、

根本的な違いがあります。

 

手術室に配属されて数日経った日、

指導者のUESKと共に、

外科の手術についていました。

 

まだ、

物品の名前もわからないし、

手術の流れもわかっていないのにです。

 

健康な状態ならまだしも、

病み上がりの体には、

余計にきつく感じました。

 

手術室には、

センサーで開閉する自動ドアが付いていて、

手術中、

意外なほどしょっちゅう、

人の出入りがあります。

 

私は、

ドアが開く音がすると、

ついそちらのほうを見てしまいました。

 

すると、

その日の終わりに、

指導者のUESK、

そして他の看護師から、

 

「手術に集中していない。ドアが開く度に、そっちを見て気が散っている」

 

という指摘をされました。

 

私が言いたいのは、

この点なのです。

 

病棟の看護師は、

例えば夜勤をしている時に、

何か音が鳴ったら、

その音の出たほうに駆けつけるよう、

指導されています。

 

なぜなら、

もしかして、

患者が転倒しているかもしれないからです。

 

実際、

そういうことは、

多々ありました。

 

夜勤だけでなく、

日勤でもそうです。

 

逆に、

日勤のほうが、

スタッフの人数は居るけど、

夜勤より騒然としているので、

そういう音を聞き逃しがちです。

 

ですから、

聞きなれない音がしたら、

即反応するように、

訓練してきました。

 

20数年そうしてきた者が、

数日で音に反応するなというほうが、

無理な話です。

 

逆に、

卒後ずっと手術室に居た人が、

病棟に異動になったら、

音に対する反応が鈍く、

転倒転落が発見できないのではないでしょうか。

 

この点が、

実は、

私が手術室が無理だった、

大きな理由なのです。

 

実は、

もうひとつあります。

 

手術室の直接介助(医師に物品を渡す)は、

実は看護師免許がなくても、

していいのです。

 

実際、

そうしている病院もあります。

 

近畿中央病院においては、

看護師、

そして夜間の緊急手術の際には、

臨床工学士が、

直接介助につくようで、

今のところ、

有資格者でまかなっています。

 

無資格者でまわすという話は、

出ていないようですが、

事務棟の廊下の明かりを、

昼間消すよりも、

有資格者から無資格者にして、

人件費をカットするほうが、

余程良いのではないかと思います。

 

もうひとつの理由は、

ここにあります。

 

なぜ、

看護師免許を持っているのに、

無資格でもできることを、

しなければならないのか。

 

もちろん、

間接介助(点滴等外回りの業務)は、

医師の指示を受けてすることで、

看護師免許が必要ですが、

直接介助ができるようになる、

つまり、

手術の流れがわかるようになって、

初めて間接介助ができるようになります。

 

しかし、

 

「直接介助は手術に集中しろ」

 

と言う割には、

間接介助の動きを見ろというのは、

矛盾しているように思います。

 

やはり、

手術室に行くのは、

卒後すぐか、

若いうちにするべきです。

 

とても、

48歳の者が、

初めて行くようなところでなないのです。

 

人間、

努力をしなければならないのはわかりますが、

努力をしても無駄であることがわかっていることに、

労力を使うのは、

愚かな人間のすることです。

 

実際、

私は、

手術室は無理でしたが、

今の仕事に必要な資格は、

滞りなく取得できました。

 

それには、

それなりの努力をしました。

 

なぜなら、

努力して頑張れば、

資格を取得できることが、

自分の能力を鑑みて、

わかったからです。

 

高校の時の、

たしか物理の先生が放った、

 

「人間頑張っても無理なものは無理だ」

 

という言葉があります。

 

当時は、

夢も希望もない、

酷いことを言うものだと思いましたが、

年を重ねると、

その言葉がよくわかるようになりました。

 

名言だと思います。

 

人間、

何かを成し遂げるための努力は必要だが、

己の能力の限界を知らず、

絶対に無理なことに時間と労力を割くのは、

無駄なことだということです。

 

やってみて、

無理だと理解するのは、

若いうちだけです。

 

年を重ねても、

自分に限界を設けるのは、

よろしくないですが、

限界を知ることも、

大切だと思います。

 

私は、

その限界を、

切々と話し合いで訴えてきたのに、

前田など、

 

「そんなのできるわよ」

 

と、

何の根拠もないことを、

言っていました。

 

人の限界を、

理論上だけで、

他人に勝手に超えさせられるのは、

本当に迷惑です。

 

この歳になると、

自分の限界は、

自分が一番よくわかっているのです。

 

ただ、

すべてにおいて、

限界をつくっているわけではありません。

 

これから、

挑戦したいことも、

いくつかあります。

 

己の限界を知りつつも、

新しいことにも挑戦していく。

 

これが、

今の私、

そして、

私と同年代以上の年代の人に、

求められていることでは、

ないでしょうか。

 

誰かさんのように、

どう考えても無理なことを、

精神論で押し切るなど、

時代錯誤もいいところです。

 

そんな、

いつまでも自衛隊気質が抜けないのなら、

看護師なんか辞めてしまえ!