今日は休日で、
仕事が休みなので、
新しい記事を書きます。
このブログは、
そもそも、
近畿中央病院において、
私が労災により、
結核に罹患した経緯、
そして、
その後の近畿中央病院の、
理不尽な仕打ちについて、
告発することを目的としています。
ですから、
本当は、
もっとそのことについて書きたいのですが、
この件について書く時には、
時間をかける必要があるので、
なかなかできない現状です。
この件は、
読者のみなさんにも好評のようで、
この件の時の訪問者数は、
格段に増えます。
ということで、
今回は、
本来の目的に関連したことを、
話題にしたいと思います。
2020年の、
5~7月頃に行われた、
病院側(事務長・竹田、看護部長・前田正美、看護師長・古川睦、他)との話し合いで、
元々所属していた6階西病棟ではなく、
手術室での復帰を打診されました。
これは、
私の体を考慮した結果というのが、
病院側の主張でした。
この頃、
呼吸器内科メインである6階西病棟は、
コロナ病棟と化していて、
基礎疾患があり、
呼吸器疾患(結核)の既往がある私には、
易感染性があるから危険だというのが、
表向きの理由です。
しかし、
これは、
今までにも繰り返し述べてきたように、
あくまでも、
「表向き」
の理由です。
本当の理由は、
世の中に対して、
私が労災で結核に罹患したことを、
せっかく隠ぺいしたのに、
もしコロナに感染し、
基礎疾患があるがために死に至ったら、
今度こそ公表せざるを得なくなるからです。
つまり、
私のためではなく、
病院の体面のためなのです。
そんなことは、
この打診を聞いた時、
すぐにわかりました。
そのことを指摘したら、
一同無言になったので、
図星だと思います。
古川睦など、
途中から、
話し合いにすら出て来なくなりました。
本来、
院内に居てはならないはずの結核患者を放置し、
その結果私に結核に罹患させた責任は、
病棟の管理者たる病棟師長・古川睦にも、
絶対にあるはずです。
なのに、
途中から来なくなるとは、
責任逃れも甚だしいと思います。
まあ、
所詮そんな者しか居ないのが、
近畿中央病院というところだと思います。
本来なら、
「俺(古川睦)が、最後まで責任を取って面倒見る」
というのが、
普通だと思うのですが、
要は、
そんな度量もない人間ということです。
ちなみに、
前田正美が、
他の部署にも打診したようですが、
どの部署も断ったそうです。
その理由は、
私が、
このブログを始める前に、
TwitterなどのSNSで、
病院や看護師の批判をしたことだそうです。
しかし、
いつも言うことですが、
言われるようなことをするから言うのであって、
言われたくなければ、
言われるようなことをしなければいい話です。
言った側を批判するというのは、
「逆ギレ」
以外の何ものでもありません。
自分たちの、
間違った言動を反省することなく、
正論を唱える者を批判するのも、
「近中クオリティ」
です。
前田正美曰く、
「自分たちも言われるのではないかと、皆、戦々恐々としている」
とのことですが、
それこそ、
言われたくなければ、
言われるようなことをしなければ、
いい話です。
前田にも、
そう言って論破しました。
前田は、
返す言葉が無く、
黙っていました。
また、
各部署の責任者(看護師長)が、
私の受け入れを拒否しましたが、
そんなの、
前田が指導力を持って、
「受け入れなさい」
と言えばいい話ではないでしょうか。
なぜ、
部下に拒否されて、
あっさり引き下がるのか。
それは、
前田正美の、
人望の無さ、
そして指導力の無さに、
起因していると思います。
そうでなければ、
看護部長の依頼を、
部下の看護師長が断るというのは、
おかしな話です。
打診ではなく、
命令ができる立場の人間が、
それをできない・・・
おかしな話です。
しかも、
私は、
不祥事を起こしたわけではありません。
病院の、
HPの記載は、
如何にも私個人の不祥事のように書かれました。
しかし、
私は、
普通に、
なんなら同僚にコキ使われながら、
一生懸命働いていたのです。
病院が、
本来近畿中央病院に、
入院していてはならない結核患者を、
適切に発見し、
速やかに専門病院に転院させていれば、
私が結核にかかることは、
なかったと思います。
ですから、
この件は、
あきらかに、
近畿中央病院の過失なのです。
それが、
自分たちでもわかっているから、
私がこの件をこれだけ告発し続けても、
逆に何も言えないのです。
なぜなら、
裁判に持ち込まれたら、
困るからです。
常に、
いくつかの訴訟を抱えているようなので、
これ以上の面倒は困るのです。
前にも言いましたが、
訴訟をちらつかせたら、
事務長・竹田の態度が、
180度変わりました。
竹田は、
私が民事で訴えると思っていたようですが、
それは違います。
「業務上過失致傷」
という、
刑事事件にするつもりでした。
今からでも、
遅くはないのですが、
近畿中央病院は、
「どうせやらないだろう」
と、
たかをくくっています。
時効もあることですし、
就職して、
公立学校共済組合の、
任意継続の保険証を終了になったことによって、
近畿中央病院と、
完全に縁が切れたので、
もう関わりたくない思いがあります。
ただ、
私がこうして発信していることに対し、
顧問弁護士を使って圧力をかけてきたら、
その報復として、
必ず告訴します。
話が逸れましたが、
この話題は久々なので、
これまでのおさらいも兼ねて、
述べました。
各部署の看護師長が、
私の受け入れを拒否しましたが、
「12年働いてきてコレか」
と思いました。
先に述べたように、
不祥事を起こしたわけでもなく、
私に落ち度があったわけでもなく、
私は、
ただ一生懸命働いていただけです。
看護師など、
普段は、
「患者のため」
とかほざいているけど、
同僚が病気になったら、
本当に冷たいものです。
これは、
近畿中央病院だけなのか、
それとも、
看護師という職業がそうなのか。
私は、
後者だと思います。
で、
唯一受け入れをOKしたのが、
手術室の看護師長でした。
この人が、
常識のある良い人であることは、
以前から認識していましたが、
こういう時に、
それが本当であたっと、
再認識できるものです。
打診されたのは、
5~7月の話し合いでしたが、
前にも話した通り、
私には、
他院でも手術室の経験がなく、
不安は大きなものでした。
病み上がりの体で、
不安が大きな状態。
気持ちの準備期間を取るために、
2020年10月1日から、
復帰することにしました。
しかし、
以前に述べた通り、
不安は予想以上に的中し、
心身ともに疲れ果て、
結局自ら退職を申し出ました。
まんまと、
病院側の作戦にはまりました。
自分たちから、
「辞めろ」
とは言えないので、
こちらに、
「辞める」
と言わせるように、
し向けたのです。
何度も何度も、
繰り返し言うことですが、
おかしな話です。
近畿中央病院の不手際により、
病気にさせられた私が、
近畿中央病院から謝罪の言葉もなく、
一銭の慰謝料も貰うことなく、
追い出されたのですから。
「労災から治療費が出ただろ?」
という人が居るのですが、
これもおさらいで述べます。
結核の治療費は、
元々公費から出るので、
多少の違いはあれど、
労災だろうが公費だろうが、
基本的には自己負担はないのです。
しかも近畿中央病院は、
退院後の通院を近畿中央病院にさせて、
労災から通院費を取ろうとしていたのです。
それが嫌なので、
私は、
入院していた病院に、
通院することにしました。
なんで、
近畿中央病院に、
儲けさせてやらなければならないのか。
バカでも、
わかる話です。
私が、
手術室が無理だった話は、
以前にしているので、
過去の記事を参照してもらえばいいのですが、
それとはまた違う、
根本的な理由があるのです。
同じ看護師でも、
病棟の看護師と手術室の看護師、
根本的な違いがあります。
手術室に配属されて数日経った日、
指導者のUESKと共に、
外科の手術についていました。
まだ、
物品の名前もわからないし、
手術の流れもわかっていないのにです。
健康な状態ならまだしも、
病み上がりの体には、
余計にきつく感じました。
手術室には、
センサーで開閉する自動ドアが付いていて、
手術中、
意外なほどしょっちゅう、
人の出入りがあります。
私は、
ドアが開く音がすると、
ついそちらのほうを見てしまいました。
すると、
その日の終わりに、
指導者のUESK、
そして他の看護師から、
「手術に集中していない。ドアが開く度に、そっちを見て気が散っている」
という指摘をされました。
私が言いたいのは、
この点なのです。
病棟の看護師は、
例えば夜勤をしている時に、
何か音が鳴ったら、
その音の出たほうに駆けつけるよう、
指導されています。
なぜなら、
もしかして、
患者が転倒しているかもしれないからです。
実際、
そういうことは、
多々ありました。
夜勤だけでなく、
日勤でもそうです。
逆に、
日勤のほうが、
スタッフの人数は居るけど、
夜勤より騒然としているので、
そういう音を聞き逃しがちです。
ですから、
聞きなれない音がしたら、
即反応するように、
訓練してきました。
20数年そうしてきた者が、
数日で音に反応するなというほうが、
無理な話です。
逆に、
卒後ずっと手術室に居た人が、
病棟に異動になったら、
音に対する反応が鈍く、
転倒転落が発見できないのではないでしょうか。
この点が、
実は、
私が手術室が無理だった、
大きな理由なのです。
実は、
もうひとつあります。
手術室の直接介助(医師に物品を渡す)は、
実は看護師免許がなくても、
していいのです。
実際、
そうしている病院もあります。
近畿中央病院においては、
看護師、
そして夜間の緊急手術の際には、
臨床工学士が、
直接介助につくようで、
今のところ、
有資格者でまかなっています。
無資格者でまわすという話は、
出ていないようですが、
事務棟の廊下の明かりを、
昼間消すよりも、
有資格者から無資格者にして、
人件費をカットするほうが、
余程良いのではないかと思います。
もうひとつの理由は、
ここにあります。
なぜ、
看護師免許を持っているのに、
無資格でもできることを、
しなければならないのか。
もちろん、
間接介助(点滴等外回りの業務)は、
医師の指示を受けてすることで、
看護師免許が必要ですが、
直接介助ができるようになる、
つまり、
手術の流れがわかるようになって、
初めて間接介助ができるようになります。
しかし、
「直接介助は手術に集中しろ」
と言う割には、
間接介助の動きを見ろというのは、
矛盾しているように思います。
やはり、
手術室に行くのは、
卒後すぐか、
若いうちにするべきです。
とても、
48歳の者が、
初めて行くようなところでなないのです。
人間、
努力をしなければならないのはわかりますが、
努力をしても無駄であることがわかっていることに、
労力を使うのは、
愚かな人間のすることです。
実際、
私は、
手術室は無理でしたが、
今の仕事に必要な資格は、
滞りなく取得できました。
それには、
それなりの努力をしました。
なぜなら、
努力して頑張れば、
資格を取得できることが、
自分の能力を鑑みて、
わかったからです。
高校の時の、
たしか物理の先生が放った、
「人間頑張っても無理なものは無理だ」
という言葉があります。
当時は、
夢も希望もない、
酷いことを言うものだと思いましたが、
年を重ねると、
その言葉がよくわかるようになりました。
名言だと思います。
人間、
何かを成し遂げるための努力は必要だが、
己の能力の限界を知らず、
絶対に無理なことに時間と労力を割くのは、
無駄なことだということです。
やってみて、
無理だと理解するのは、
若いうちだけです。
年を重ねても、
自分に限界を設けるのは、
よろしくないですが、
限界を知ることも、
大切だと思います。
私は、
その限界を、
切々と話し合いで訴えてきたのに、
前田など、
「そんなのできるわよ」
と、
何の根拠もないことを、
言っていました。
人の限界を、
理論上だけで、
他人に勝手に超えさせられるのは、
本当に迷惑です。
この歳になると、
自分の限界は、
自分が一番よくわかっているのです。
ただ、
すべてにおいて、
限界をつくっているわけではありません。
これから、
挑戦したいことも、
いくつかあります。
己の限界を知りつつも、
新しいことにも挑戦していく。
これが、
今の私、
そして、
私と同年代以上の年代の人に、
求められていることでは、
ないでしょうか。
誰かさんのように、
どう考えても無理なことを、
精神論で押し切るなど、
時代錯誤もいいところです。
そんな、
いつまでも自衛隊気質が抜けないのなら、
看護師なんか辞めてしまえ!