看護師の変な話ばかりしても何なので、
たまには素晴らしい上司の話を。
私は、
以前救命救急センターに5年在籍していましたが、
5年で看護師長4人という、
一時の日本の総理大臣のように、
コロコロと変わったものです。
今から話す人物は、
救命救急センターで2人目の上司となり、
その後系列の病院に転勤した時の看護部長であった人物です。
そもそも、
2年目で救命救急センターに異動になった時の師長は、
すぐに異動になってこの師長が着任したため、
実質1人目の師長でした。
この國久シゲコ、
一言で言えば「豪快」。
一緒に働くにつれ、
その人柄に触れることによって、
魅力が増していきました。
今でも、
いちばん尊敬する上司です。
ある日勤の時、
朝のミーティングで國久シゲコから、
「今日は、私のミスでフリーが居ないから、私がします。本当にスマン」と言われました。
この救命救急センター、
以前はヘルパーが配置されていて、
メッセンジャー業務や患者退室後のベッドメイキングをしてくれていたのですが、
「救命は人(看護師)が居るから」という理由で、
ヘルパーを他の部署に持っていかれたのです。
たしかに、
救命救急センターには50名以上の看護師が居て、
人数は居ますが、
それとこれとは話が別のように思いますが・・・。
とにかく、
ヘルパーが居なくなった分、
フリーの看護師を捻出して、
対応することになりました。
そしてこの日は、
そのフリーが居ないというのです。
出入りが激しい救命救急センターにとって、
患者退出後ベッドメイキングいかに素早く行っていくかということは、
永遠の課題なので、
この日は我々スタッフにも覚悟が必要でした。
いくら師長が、
「私がやる」と言っても、
師長業務もあるでしょうし、
救命救急センターの師長の肩書は副看護部長なのです。
副看護部長に、
そんな雑用させられるわけがありません。
副看護部長にというよりも、
この國久シゲコという人物にと言うべきでしょう。
それぐらい、
この人は人望が厚かったのです。
同じ副看護部長でも、
自分の過ちを謝りもしない内田、
同じく今後話していきますが、
自分の過ちを謝らない看護部長・前田正美になら、
便所掃除でもさせますけどね。
いくら、
國久シゲコがそう言っても、
「できるだけ自分たちでやろう」と、
我々スタッフは思っていました。
しかし、
この日は他の病棟への転出や退院・転院が多く、
通路はベッドで溢れかえっていました。
我々も、
なんとかしたかったのですが、
他の業務に追われてなかなかできず、
後回しにしていました。
すると、
國久シゲコが、
ベッドメイキングを始めたのです。
まあ、
本人が言っていたことではあるのですが、
やはりそんなことをしてもらうわけにはいきません。
「師長、我々がやります」
「いや、フリーが居ないのはワシのせいじゃ。ワシが悪いんじゃ。そやから、ワシがやるんじゃ」
自分のミスを部下に謝り、
そのミスを自分で始末をつける。
これでこそ、
上司の鏡ではないでしょうか。
近畿中央病院なんて、
看護部長・副看護部長は、
年に数回しか病棟には来ないけど、
たまに来ても「あら忙しそうね」の一言のみ。
病棟師長も、
基本管理に徹して業務には手を出しません。
古川と、
後に登場するHH師長は、
搬送をしたりはしていましたが・・・。
中には、
詰所に誰も居ないのに、
電話すら取らん師長も居る始末。
「お前の管理する病棟ちゃうんか」と言いたいです。
この一件で、
元々高かった國久シゲコの株は格段に上がり、
人望もさらに厚くなりました。
こんな上司は、
もう2度と現れないと思います。