看護部本日モ反省ノ色ナシ

看護師を中心に医療界の変なエピソードを話していきます

私は看護師をしておりますが まあおよそ一般社会では通用しないことがまかり通る それが看護師の世界です そんな看護師のエピソードとともに 医療界(病院)の変なことも話していきたいと思います

ショートネタ・「初心に帰って看護をしよう」

表題は、

ある年の近畿中央病院看護部が掲げた、

年間の目標です。

 

多少の語句の違いはあるかもしれませんが、

こういうニュアンスのことを、

言っていました。

 

これを聞いて私は、

 

「そっくりそのまま、あなたたち(看護部長・副看護部長・看護師長)に、お返しします」

 

と思ったものです。

 

病棟師長はともかく、

病棟回りをすることもなく、

患者や部下の様子を、

自分の目で一切見ない看護部長や副看護部長こそ、

初心に帰るべきだと思います。

 

特に、

外様である前田正美や内田輝美など、

出世にあけくれて、

初心を忘れているではないか!

 

お前たちに、

初心云々言われたくない。

 

言われなくても、

我々は、

初心を忘れず、

看護をしていた。

 

それがわからないのは、

病棟回りをして、

部下の様子を見たり、

部下とコミュニケーションをとっていないからだ。

 

こんな、

自分の出世のことしか考えていない者が、

看護部の首脳を務めているのが、

近畿中央病院というところ。

 

他の病院も、

多かれ少なかれ同じようなことがあるかもしれないが、

看護部首脳を、

外様ばかりにさせている近畿中央病院は、

それが顕著である。

 

生え抜きに、

トップを任せられないとすれば、

それはそれで、

不甲斐ない話である。

 

近畿中央病院の看護部首脳よ、

あなたたちの部下は、

あなたたちが思っているよりも、

優秀です。

 

ただ、

優秀な人材は、

みんな辞めていきます。

 

それがどういうことなのか、

病院が消滅するまで、

考えてみてください。

久々の投稿・番外編/SKE48チームS新公演「愛を君に、愛を僕に」公演初日

またもや、

久々の投稿になって、

申し訳ありません。

 

今回は、

5月28日に、

SKE48チームSの、

新公演「愛を君に、愛を僕に」初日を観覧してきたので、

そのレポートをします。

 

 

みなさんには、

ほとんど興味はないでしょうが、

是非ご一読ください。

 

この公演は、

SKE48としては、

約11年ぶりとなる、

オリジナル公演です。

 

SKE48のオリジナル公演は、

2009年の「手をつなぎながら」公演「制服の芽」公演

2011年の「ラムネの飲み方」公演に次ぐ、

4つ目のオリジナル公演です。

 

「手をつなぎながら」公演は、

私がSKE48の劇場公演を、

初めて観覧した2015年当時、

チームEが行っていたので、

観たことがあります。

 

ラムネの飲み方」公演も、

チームKⅡが行っていたので、

観たことがあります。

 

制服の芽」公演だけ、

観たことがありません。

 

今回は、

新公演の、

しかも初日を当てることができて、

とても嬉しかったです。

 

初日といっても、

この日は昼夕の2回公演で、

当選したのは夕公演でしたので、

「初回」ではありませんでしたが・・・。

 

公演は、

16人で行います。

 

今、

SKE48のチームSは、

19人在籍しています。

 

よく、

 

「初日公演に出してもらえなかった」

 

と、

悔しい思いをするメンバーが居るのですが、

今回は配慮がありました。

 

19人中13人は、

初日2公演ともに出演。

 

あとの6人は、

3人ずつ昼と夕公演に出演。

 

これで、

全員が初日に出演することができます。

 

でもきっと、

片方しか出られなかったメンバーは、

悔しい思いをしていることでしょう。

 

この結果、

私が観覧する公演では、

荒野姫楓ちゃん・石黒友月ちゃん・大谷悠妃ちゃんの3名が、

休演でした。

 

とても残念です。

 

3人とも、

すごく良いコたちなのに・・・。

 

しかし、

チームSでいちばん推している、

坂本真凛ちゃんが出演します。

 

 

それから、

チームSは、

松本慈子ちゃん・北川愛乃ちゃん・仲村和泉ちゃん・竹内ななみちゃん と、

大阪出身のメンバーが多いことも特長で、

そのメンバーも応援しています。

 

あと、

この公演の注目ポイントは、

あの小室哲哉がプロデュースを、

手がけたということにあります。

 

高校・大学時代を、

小室サウンドで過ごした私にとっては、

期待が高まりました。

 

そして、

すべての楽曲を、

小室哲哉そして木根尚登が、

この公演のために書き下ろしました。

 

AKBグループの楽曲といえば、

ごくごく一部を除いて、

すべてプロデューサーである秋元康が、

作詞を担当している中、

秋元康作詞の曲が全く無いのは、

異例なことです。

 

今は、

運営もAKB48とは違い、

「ZEST」という会社が行っています。

 

ですから、

今後もこういう感じに、

なっていくのかもしれません。

 

当日は、

昨年2021年10月21日の、

SKE48チームE「SKEフェスティバル」公演・鎌田菜月生誕祭以来の、

名古屋だったので、

公演は17時からでしたが、

早めに行くことにしました。

 

本当は、

精一杯名古屋を満喫するために、

前日に夜行バスで行きたかったのですが、

少し前までガラガラだった席が、

当日確認したら、

結構埋まっていたので、

諦めました。

 

そして、

翌日朝1番の近鉄特急で行くことにし、

朝ちゃんと起きられたのですが、

余裕をかまし過ぎて、

結局朝イチには乗れず。

 

8時の、

近鉄特急「ひのとり」に乗ろうとしたのですが、

プレミアムシートが満席だったので、

しかたなく、

8時30分発の、

アーバンライナー」の、

デラックスシートに乗って行きました。

 

私個人としては、

ひのとりのプレミアムシートよりも、

アーバンライナーのデラックスシートのほうが、

好みです。

 

名古屋着は、

11時少し前。

 

到着後は、

名鉄バスセンターと、

ミッドランドスクエア前で、

私が運営する、

もうひとつのブログのネタを収集。

 

そうしているうちに、

時間はお昼時。

 

名古屋には、

おいしいものが揃っていますが、

今回は、

ここに行ってきました。

 

 

ここは、

乃木坂46の、

遠藤さくらちゃんのお父様が経営する、

蕎麦屋さんです。

 

店内には、

遠藤さくらちゃんのサインが、

飾られています。

 

 

そして、

頂いたのがこちら。

 

 

ざるそば大盛り

 

かなりの量ですが、

ペロッと食べられるぐらい、

美味しかったです。

 

このあとは、

再び名鉄バスセンターで活動し、

15時20分頃のバスで、

SKE48劇場のある、

栄に向かいました。

 

地下鉄なら、

2駅数分の距離ですが、

バス好きで雑踏を避けたい私は、

急ぎでない限り、

バスを利用しています。

 

 

今のSKE48劇場は、

開演1時間30分前に、

受付が始まり、

開演30分前に、

入場となります。

 

以前は、

直前のビンゴ抽選によって、

入場順が決まるシステムで、

早く並んでも立ち席になったり、

遅く来ても最前列に座れたりと、

ある意味で公平な感じになっていました。

 

しかし、

コロナでの休演を経て、

予め席が割り当てられる方式に、

変わりました。

 

ビンゴ方式は、

楽しみでもあったので、

少し残念ではありますが、

時世柄しかたがないのかもしれません。

 

今回の、

私の席は、

H列の5番でした。

 

前回、

昨年の10月21日は、

J列の1番で、

座席最後方の一番右端、

増設されたパイプ椅子だったので、

少し出世です。

 

H列は、

前のG列より1段上がっているので、

少し見やすくなっています。

 

入場待ちをしている時に、

後ろに並んでした方(たぶん私より年上)が話かけてきて、

話ながら入場を待ったので、

待ち時間は苦ではありませんでした。

 

そして、

16時30分過ぎに入場。

 

17時頃、

青海ひな乃ちゃんの影アナ。

 

「overture」

 

が始まり、

いよいよ開演!

 

今は、

声出し禁止なので、

overtureの途中で、

 

「SKE48ソレソレソレソレ」

 

を言えないのは、

淋しさを感じました。

 

構成は以下の通り

 

【出演メンバー】
青海ひな乃・赤堀君江・石塚美月・井上瑠夏・上村亜柚香・北川愛乃・鬼頭未来・      坂本真凛・杉山歩南・竹内ななみ・都築里佳・中坂美祐・仲村和泉・野村実代・         平野百菜松本慈子

 

【影アナ】青海ひな乃

 

(overture)

 

【全体曲①】

 M1   愛を君に、愛を僕に

 M2   LIVE MASTER

 M3   旅立てジャック

 M4   SURFな最近

 

【MC①】

 

【ユニット曲】

 M5   恋せよ乙女 エクスプロージョン!(石塚美月・杉山歩南)

 M6   流星(青海ひな乃・赤堀君江・松本慈子

 M7   嵐からの隠れ場所(井上瑠夏・鬼頭未来・坂本真凛・仲村和泉)

 M8   Fly me to the universe(北川愛乃・竹内ななみ・都築里佳・野村実代)

 M9   恋するつぼみ(上村亜柚香・中坂美祐・平野百菜

 

【MC②】

 

【全体曲②】

 M10 小悪魔ブルーベリー

 M11 LOVE RENOVATION

 M12 青春Growing

 M13 ともだち

 

(アンコール)

 

【全体曲③(アンコール曲)】

 EN1  リ と マ

 EN2 頼りは翼だけだ

 

【MC③】

 

【全体曲④(アンコール曲)】

 EN3 マイ・ドリーム

 

【お見送り】

 

では感想を・・・

 

楽曲に関しては、

やはり節々に、

小室サウンドが感じられました。

 

我々、

小室サウンドで、

青春時代を過ごした者にとっては、

懐かしくもあり、

また最近は、

新たな小室サウンドを聴く機会がなかったので、

新鮮でもありました。

 

ダンスに関しては、

全体曲は、

愛情のある厳しい指導で定評のある、

牧野アンナ氏が担当。

 

あの厳しい指導と、

メンバーひとりひとりの自覚によって、

素晴らしいダンスを、

観ることができました。

 

でも、

メンバーたちは、

それで満足していません。

 

「もっともっと上を目指す」

 

と言っています。

 

素晴らしいことだと思います。

 

私も、

見習わなければなりません。

 

時世柄、

MIXを打つ(合いの手を打つ・声援を送る)ことが出来ないのは、

本当に淋しい限りですが、

大満足の新公演初日となりました。

 

SKE48の劇場公演では、

最後に、

ステージ上に並ぶメンバーの前を通って、

劇場を退出する、

 

「お見送り」

 

があります。

 

声を出せる時は、

推しのメンバーに、

一声かけたり出来たのですが、

現在はできません。

 

でも、

メンバーたちに、

何かしらのアピールをしたいものです。

 

ボードやうちわに、

メッセージを書くのが一般的ですが、

あとするとすれば、

身振り手振りです。

 

チームSには、

身振り手振りで、

アピールできるメンバーが、

3人居ます。

 

では、

この公演のお見送りで、

私がアピールした順番に紹介。

 

まずは、

野村実代ちゃん。

 

 

野村実代ちゃんのキャッチフレーズは、

 

「みよー?(まるー!)みよー?(まるー!)みよー?(まるー!)SKE48のナナちゃん人形! 」

 

というものです。

 

野村実代ちゃんは、

あだ名を

 

「みよまる」

 

といいます。

 

この、

 

「まるー」

 

の時に、

手で丸をつくれば、

アピールすることができます。

 

みよまるの前を通過する時に、

これを実行したら、

良い反応をしてくれました。

 

作戦成功!

 

次は、

 

「よこにゃん」

 

こと北川愛乃ちゃんです。

 

よこにゃんのキャッチフレーズは、

 

「横から見てもー(にゃんにゃん) どこから見てもー(にゃんにゃん) よこにゃーんビーム(わぁーーー) (からのーーしゃちほこ) 〇〇歳のよこにゃんこと北川愛乃です」

 

この、

 

「しゃちほこ」

 

の時に、

以下のようなポーズをします。

 

 

これを、

よこにゃんの前を通過する時にしたら、

同じポーズを返してくれました。

 

最後は、

チームSの推し・坂本真凛ちゃん。

 

真凛ちゃんのキャッチフレーズは、

 

「2002年2月2日生まれ 冬生まれなのにー?(まりんー!!) やったね! 皆さんをにーっと笑顔にさせちゃいます」

 

というもの。

 

この、

 

「やったね」

 

の時に、

右目のよこで、

ピースをします。

 

 

この公演の自己紹介の時、

 

「自己紹介でしか『やったね』をやらない坂本真凛です」

 

と言っていたので、

やってくれるか心配でした。

 

しかし、

チームS公演を観に来て、

真凛ちゃんが居る時には、

必ずするようにしているので、

今回もやりました。

 

すると真凛ちゃんは、

 

「やったね」

 

を返してくれました。

 

声出しができない中、

出来る精一杯のことをやることは、

大事だと思いました。

 

そして、

この

お見送りの前に、

以下の写真が無料で配られます。

 

 

以前は、

有料だったのですが、

入場料がだいぶ値上げになった代償のためか、

無料となりました。

 

2L版が希望の場合は、

終演後の販売となり、

私はいつも購入しています。

 

もちろん、

今回も。

 

すべて終了して、

時間は19時頃。

 

平日の公演は、

18時30分開始の、

20時30分頃終了なので、

いつも21時30分発の、

近鉄特急で帰っていました。

 

今回は、

頑張れば19時30分のアーバンライナーか、

20時発のひのとりで、

帰れました。

 

しかし、

行にひのとりのデラックスシートに乗れなかった反省から、

名古屋に着いた時点で、

21時発のひのとりのチケットを、

買っていました。

 

ということで、

時間まで名鉄バスセンターで時間をつぶしました。

 

近鉄名古屋駅構内のファミリーマートでは、

私鉄では珍しい駅弁が売られています。

 

それを買って帰って、

夕食にしたかったのですが、

なんとすべて売り切れ。

 

いつも買う

 

「しまかぜ弁当」

 

 

か、

新たに発売された、

 

「ひのとり弁当」

 

を買いたかったのですが・・・

 

しかたなく、

空腹のまま、

21時発のひのとりに乗車。

 

行きに乗れなかった、

プレミアムシート。

 

 

23時過ぎに、

大阪なんば駅に到着。

 

家には、

23時半頃到着しました。

 

今回は、

名古屋を満喫しつつ、

1度しかない初日公演を、

楽しむことができました。

 

SKE48チームSメンバーの、

努力の結果が見られた、

最高の公演でした。

 

以上で、

レポートは終わりますが、

今後のこのブログについて、

お話します。

 

投稿が、

土日祝などに、

不定期で更新することは、

もうしばらく変わりません。

 

しかし、

投稿間隔が開き過ぎて、

読者が離れて行ってしまっている現実があります。

 

そこで、

土日祝日以外には、

記事を打つのに時間がかからない、

ショートネタを、

投稿しようと思います。

 

今まで通りの、

長文の投稿に関しては、

引き続きSNSでお知らせしますが、

ショートネタは、

お知らせしませんので、

弊ブログを、

定期的に覗いていただけたらと思います。

「おのれはブラックジャックか?」/無知で恩を仇で返した一家の末路

これは、

私が近畿中央病院で、

外来・検査部門に所属していた時の話です。

 

ですから、

もう11~14年前の話になります。

 

以前にも、

何度か話していますが、

外来の看護師は、

通常業務で夜勤がない分、

救急外来において、

夜勤(当直)と、

土日祝日の日直を、

することになっています。

 

ある日、

夜勤をしていると、

救急搬送依頼の電話がかかってきました。

 

ソケイ部(脚の付け根)の痛みを訴えているとのこと。

 

この時点で、

ソケイヘルニアであることは明白です。

 

この時、

外科の当直は、

T先生でした。

 

このT先生は、

外科の医師にしては、

珍しく穏やかな先生で、

人気の高い先生でした。

 

外科の医師といえば、

自信に満ち溢れた方が多いイメージなのですが、

この先生は違いました。

 

患者に対しても、

部下の医師に対しても、

我々看護師に対しても、

優しく接していました。

 

救急車の患者を受けるか否かは、

当直医が判断します。

 

私は、

T先生に電話をかけ、

お伺いをたてました。

 

優しいT先生が、

断るわけもなく、

受け入れることになりました。

 

しかしここで、

ひとつ問題がありました。

 

この日は、

麻酔科医師が、

緊急手術に対応できないとの、

お達しがありました。

 

ソケイヘルニアの根治のためには、

手術が必須です。

 

そこで、

T医師から、

 

「緊急手術は行えないので、それでもよかったら来てくださいと、救急隊に伝えてください」

 

と言われました。

 

その旨を、

救急隊に伝えると、

搬送する旨の返事がありました。

 

救急隊にすれば、

搬送先さえみつかって、

搬送してしまえば、

仕事は完了します。

 

それでもし、

手術が必要となったら、

転送が必要になりますが、

一旦近畿中央病院に搬送したあとは、

転送先をみつけるのは、

近畿中央病院の仕事となり、

自分たちには関係がなくなるから、

どうでもいいのです。

 

転送になれば、

近畿中央病院から、

改めて救急隊に、

転送を依頼することになりますが、

救急隊にとっては、

そのほうがいいのです。

 

救急隊の、

一番厄介な仕事は、

搬送先をみつけることであり、

搬送すること自体は、

苦ではないのです。

 

こうして搬送されてきたのは、

20歳前後の男性でした。

 

両親の付き添いがありました。

 

診察の結果、

やはりソケイヘルニアでした。

 

ソケイヘルニアは、

まず飛び出た腸を、

元に戻すことが必要です。

 

元に戻すには、

 

徒手整復」

 

と言って、

皮膚の上から、

手で元に戻します。

 

T先生もこれを行い、

腸が元に戻ると、

激痛を訴えていた男性は、

平静を取り戻しました。

 

この時T先生は、

丁寧な説明を行いました。

 

いつも、

されていることではありますが・・・。

 

まず、

腸を戻して、

症状は治まったけど、

また腸が飛び出すと、

同じことになるので、

完治を望むのであれば、

手術が必要であること。

 

近畿中央病院は、

本日緊急手術が出来ないので、

緊急手術を希望するのであれば、

他の病院にお願いすることになること。

 

1度起こせば、

繰り返すことになるので、

いずれは手術が必要になること。

 

等々

 

説明を行いましたが、

痛みが消えた男性は、

話をまともに聞かず、

帰宅を希望して、

両親とともに帰って行きました。

 

それから、

どれぐらい経ったでしょうか。

 

たぶん、

1時間、

いや30分も経っていなかったと思います。

 

再度、

この男性の、

救急搬送依頼がありました。

 

同じ症状でした。

 

先ほど受けたので、

今回も受けました。

 

同じことの繰り返しです。

 

また、

徒手整復を行い、

再度手術を勧めましたが、

男性は帰宅を希望しました。

 

最初の時か、

この時かは忘れましたが、

痛み止めを、

処方されたとお思います。

 

そして、

男性は帰宅しました。

 

しかし!

 

「2度あることは3度ある」

 

の言葉通り、

また30分もしないうちに、

3度目の搬送依頼がありました。

 

そして、

三度(みたび)搬送されてきて、

徒手整復が終わったあと、

付き添っていた男性の父親が、

T先生に対して、

こう言い放ちました。

 

「おのれはブラックジャックか?」

 

言っている意図が理解できないT先生は、

あっけに取られて

 

「は?」

 

と答えるしかありませんでした。

 

すると父親は、

こう続けました。

 

「おのれはブラックジャックかと言っとるんじゃ。そんな、手でやって、治るわけないじゃないか。このヤブ医者が」

 

そのやり取りを、

傍で見ていた私は、

普段穏やかで優しいT先生が、

この状況に対応できるかどうかわからなかったので、

助け舟を出そうとしました。

 

その時、

内科当直だった、

TKHSという医師も、

騒ぎを聞きつけて、

現場に来ていました。

 

TKHS医師は、

私が近畿中央病院に来る前は、

近畿中央病院の常勤医だたそうですが、

この当時は、

近畿中央病院を中心に、

非常勤で、

診療を行っていました。

 

しかし、

さすが外科の医師。

 

それまでも、

数々の修羅場を、

くぐり抜けてきたのでしょう。

 

いつもと変わらない様子で、

冷静にこう返しました。

 

「これが、ソケイヘルニアの一般的な戻し方です。ただ、完治を望むのであれば、手術が必要であると、何度も説明しています」

 

それに対して、

父親はこう答えました。

 

「えっ・・・」

 

そう、

自分の無知を、

自ら晒した恥ずかしさに、

気付いたのです。

 

その後、

T先生は、

再度丁寧な説明を行いました。

 

緊急手術を希望するのであれば、

転院先を探して紹介状を書くこと、

近畿中央病院で手術を希望するのであれば、

翌日通常の外来を受診すること。

 

等々

 

しかし、

その場に居ることさえ恥ずかしい父親には、

T先生の話は、

聞こえていなかったと思います。

 

結局、

一緒に来ていた妻と、

患者である息子を連れて、

そそくさと帰って行きました。

 

その後、

その患者がどうなったのかはわかりませんが、

以後一晩、

救急搬送の依頼はありませんでした。

 

しかも、

後日外科を受診した形跡も、

ありませんでした。

 

そりゃそうです。

 

恥ずかしくて、

来れるはずがありません。

 

これで、

堂々と来ていたら、

逆にスゴイと思います。

 

でも、

あの様子では、

絶対に手術が必要なので、

きっと別の病院で、

手術を受けたのでしょう。

 

以前、

近畿中央病院のカルテに、

 

「#」

 

が付いている患者は、

本人もしくは家族に、

なんらか問題がある(クレーマーなど)と、

話したことがありました。

 

当時の運用では、

誰が付けてもよかったので、

私が付けようと思いました。

 

そして、

カルテを開けると、

すでに20個の#が、

付けられていました。

 

たしか、

 

「父親####################」

 

という感じだったと思います。

 

T先生が付けたとしたら、

 

「T先生も意外とやるなあ」

 

と思ったのですが、

どうやら付けたのは、

内科当直だったTKHS医師のようです。

 

彼なら、

やりかねないと思いました。

 

これが、

無知で、

丁寧な対応(恩)をした医師を、

仇で返すような言動をした一家の末路です。

 

要は、

アニメや、

医療ドラマの見過ぎの、

結果でしょう。

 

実際の医療は、

アニメやテレビとは違うのです。

久々の投稿・番外編/GW・東京旅行

久々の投稿になって、

申し訳ありません。

 

言い訳をさせていただくと、

GWの5月3日~5日は、

東京に行っていました。

 

本当は、

その件をリアルタイムで投稿したかったのですが、

自宅に不在とわかると、

空き巣被害に遭う危険性があるので、

避けたのです。

 

その寸前の土日は、

仕事でした。

 

旅行後の土日は、

休みだったのですが、

旅行の疲れが出たのと、

病院の受診(結核のフォロー)があったので、

投稿できませんでした。

 

先週は、

土曜日が仕事で、

日曜日しか休みがなく、

家事をしていたら、

投稿する機会を失いました。

 

ここで、

ひとつ報告。

 

5月5日をもって、

2回目の結核治療薬の服用が、

終了しました。

 

9ヶ月、

本当に長かったです。

 

今のところ、

再々発の兆候なく、

過ごせています。

 

久々の投稿ということで、

医療関連の裏話を話したかったのですが、

今回は、

皆さんには興味ないことと思いますが、

GWの東京旅行について、

話します。

 

今回も、

夜行バスを利用しました。

 

出発当日は、

前回同様、

昼間仕事でした。

 

今回乗車したのは、

京王バスアルピコ交通が共同運行する、

大阪-新宿・渋谷・池袋線です。

 

この路線に乗るのは、

2回目ですが、

当時は、

京王と阪急の共同運行でした。

 

先月から、

阪急が撤退して、

新たにアルピコ交通が、

運行に参入したのです。

 

大阪シティバスに乗り、

大阪駅前から歩いて、

阪急三番街の高速バス乗り場へ。

 

待合に着いた時に、

地震があったようですが、

影響はありませんでした。

 

今回は、

京王バスの担当でした。

 

前に乗った時も、

京王でしたが、

車両は2015年に新しいものが導入されて、

車両自体は初めて乗るものでした。

 

現代の夜行バスの標準である、

独立3列シート・中央トイレの車両で、

私は、

トイレの横の横の、

窓側の席を指定して予約しました。

 

今では、

これも夜行バスでは標準になりつつある、

いわゆる「個室カーテン」がついてはいましたが、

右横と、

後ろに人が居なかったのは、

良かったです。

 

この路線は、

USJ始発ですが、

1度乗ったことのある路線なので、

途中の梅田から乗車しました。

 

前にも話しましたが、

私は、

初めて乗る高速バス路線(特に夜行)は、

極力始発から終点まで、

乗るようにしているのです。

 

バスは、

梅田出発後、

新大阪・千里桃山台千里中央名神茨木・名神高槻・高速長岡京と停車し、

客を拾います。

 

そして、

大津SAで、

眠前の休憩となりましたが、

私は降りませんでした。

 

バスはその後、

名神新名神→東名阪→伊勢湾岸→東名→新東名→東名→圏央道→中央道→首都高

を通って、

東京に向かいます。

 

その後、

乗務員の休憩のため、

何度か停車し、

その都度目が覚めましたが、

今回も、

比較的眠れたほうでした。

 

そして翌朝、

目が覚めると、

バスはノロノロ運転でした。

 

その後の、

乗務員からの説明によると、

圏央道の渋滞によるものでした。

 

中央道八王子停車ののち、

石川PAで朝の休憩。

 

この時は、

降りて休憩しました。

 

この時点で、

1時間半ほど遅れており、

早くも、

旅の計画が崩れてしましました。

 

定刻なら、

新宿に6時58分に着くので、

そこで降りて、

電車で池袋に向かい、

池袋で、

高速バスの写真を撮ることにしていました。

 

このバスは、

池袋が終点なので、

そのまま乗っても、

池袋には行けるのですが、

時間がかかるので、

電車で行くことにしたのですが、

渋滞による遅延で、

目当てのバスが写せないため、

池袋に行くこと自体、

諦めることになりました。

 

そして、

遅れをほとんど取り返せないまま、

9時15分過ぎに、

新宿(バスタ新宿)に到着しました。

 

先に述べたような事情により、

バスタ新宿で、

バスの写真を撮ることにしました。

 

その前に、

薬をのむ必要があるので、

軽い朝食を。

 

そして、

昼食を食べずに、

写真を撮り続けました。

 

これには、

理由があるのですが、

それは、

あとで述べます。

 

その途中、

バスタ新宿の真下にあるJR新宿駅で、

帰りの新幹線の切符を確保。

 

前回同様、

帰宅翌日が仕事なので、

15時40分頃ののぞみを指定したのですが、

時間が中途半端なためか、

GWにもかかわらず、

席には余裕があり、

3列側の窓側を確保できました。

 

その後、

16時頃に、

一旦今回の宿にチェックインするため、

大塚に向かいました。

 

 

チェックイン後、

すぐに、

とある場所に向かいました。

 

その場所というのが、

こちらです。

 

 

そう、

元・AKB48の内田眞由美ちゃんが、

オーナーを務める、

 

「焼肉IWA」

 

です。

 

内田眞由美ちゃん

 

今回の旅の目的は、

ここに来ることと、

バスの写真を撮ることでした。

 

最後に、

ここに来たのは、

私が結核を発症する直前に、

7泊8日で関東旅行をした時でした。

 

ちなみにこの時は、

7泊8日の滞在で、

3回来ました。

 

開店1番(17時)に店に入り、

食事をするために、

昼食を抜いたのです。

 

店に入ると、

店長である内田眞由美ちゃんのお母さんが、

出迎えてくれました。

 

そして、

 

「お久しぶりです。〇〇〇さん(私の下の名前)ですよね」

 

と、

2年半ぶりの来店にもかかわらず、

私のことを覚えていてくださいました。

 

このお母さんとは、

2013年、

まだ内田眞由美ちゃんが現役AKBの時、

内田眞由美ちゃんの地元・八王子の、

ドン・キホーテでの凱旋イベントで、

私から話しかけてからの関係です。

 

この時、

まだIWAはなく(2014年4月末開店)、

ご両親は、

八王子で、

焼肉店を2店舗(牛皇石川庵・牛皇北野庵)経営されていました。

 

このイベントのあと、

2013年11月に、

1度だけ、

牛皇石川庵を、

訪れました。

 

※牛皇石川庵(2013年11月) 

 

商売柄とはいえ、

2年半あいているのに、

覚えていただいていることは、

ありがたいことです。

 

この日、

オーナーは不在でしたが、

元AKB48の、

野中美郷ちゃんが、

出勤していました。

 

野中美郷Twitterより 左:店長(内田眞由美母) 左:野中美郷ちゃん

 

野中美郷ちゃんは、

一時IWAのバイトから離れていましたが、

最近本格的に復活しました。

 

相変わらずの、

美人さんでした。

 

野中美郷ちゃんと、

別のアルバイトの女の子と、

ちょいちょい話をしながら、

美味しい焼肉をいただきました。

 

 

19時頃、

会計で野中美郷ちゃんに、

 

「明日も来る」

 

と宣言し、

店をあとにしました。

 

野中美郷ちゃんも、

翌日出勤するとのこと。

 

店を出たあと、

再度バスタ新宿に向かうべく、

新大久保駅に向かって歩き出したのですが、

久々に酒を飲んだのと、

満腹になるまで食べたせいか、

急速に体調が悪くなりました。

 

途中何度も休憩しながら、

やっとのことで新大久保駅のホームへ。

 

 

しかし、

しんど過ぎて、

電車に乗ることができず、

しばらくベンチに座って過ごしました。

 

少し、

ウトウトしたかもしれません。

 

1時間少々経って、

ようやく体調が落ち着いたので、

バスタ新宿に向かいました。

 

新大久保から新宿は、

たったひと駅なのに、

この時は遠く感じました。

 

前回、

4月2日にバスタ新宿に行った時と、

サイクルが違う日なので、

夜行バスであれば、

前回撮れなかったバスが来ます。

 

その読み通り、

撮りたかったバスが多数来ました。

 

しかし、

さすがGW中。

 

昼間は、

それほどでもありませんでしたが、

夜は混雑していました。

 

23時30分頃まで居て、

宿へと戻りました。

 

宿に着いたのは、

日を越していたと思いますが、

なかなか寝つけず、

関東のローカル深夜番組を観て、

1時30分頃、

眠りました。

 

翌日、

なぜか5時ぐらいに目覚めました。

 

「これなら、昨日のリベンジができる」

 

と、

池袋に行こうと思ったのですが、

余裕を持ち過ぎて、

結局行くことができず、

当初の予定通り、

東京駅に向かいました。

 

東京駅八重洲口周辺で、

バスの写真を撮るのが目的でしたが、

コロナの影響で、

バスの運休が多く、

思うように写真が撮れませんでした。

 

そして、

いろいろ考えた結果、

千葉駅に行くことにしたのですが、

普通に電車で行っては面白くないので、

こういうことを考えました。

 

東京駅八重洲口から、

君津行の高速バスに乗って、

木更津羽鳥野BSまで行き、

そこで館山から千葉に行く高速バスに乗り換えて、

千葉に行くというもの。

 

以前、

それの逆をやったことがあったのです。

 

しかし、

思いたったのが遅かったのと、

乗り継ぎが悪いため、

それは断念しました。

 

今回は、

旅の要素がないので、

少しでも旅らしいことがしたかったのですが・・・。

 

そして実行したのが、

次の方法です。

 

都営バスの深川車庫行に乗り、

深川車庫の少し手前で下車。

 

その周辺には、

東北急行バスと、

京成バスの車庫があるのです。

 

そこで撮影後、

りんかい線東雲駅から新木場駅へ。

 

新木場駅から京葉線に乗り、

千葉みなと駅へ。

 

千葉みなと駅から、

モノレールに乗って、

千葉駅に向かうというもの。

 

この通り、

実行したのですが、

車庫では、

思うように写真を撮れませんでした。

 

千葉みなと駅では、

館山に向かう高速バス「南総里見号」を、

3台写せました。

 

千葉駅は、

GW中だからか、

コロナの影響か、

活気が無かったように思います。

 

以前は、

いつ来ても、

もっと活発にバスが発着していて、

人も多かったように思いましたが、

バスも人も、

少な目でした。

 

前述の通り、

この日もIWAに行くつもりだったので、

前日同様昼食を抜こうかと思ったのですが、

この日は、

朝食が早かったので、

空腹でした。

 

そこで、

以前にも入った、

千葉駅近くにある

 

「銚子丸」

 

という、

お寿司屋さんに行くことにしました。

 

※2017年撮影

 

ここは、

千葉駅前に居ながら、

銚子港であがった、

新鮮な魚介類を、

食べることができるのです。

 

少しでも、

旅の要素を、

出したかったのです。

 

しかも、

確か14時までに入店したら、

あら汁を無料で出してくれるのです。

 

少なくとも、

2017年当時はそうでした。

 

しかし、

行ってみると、

入口に行列ができていたので、

諦めました。

 

しかたなく、

ここに向かう前にみつけていた、

別の寿司屋さんに向かいました。

 

 

名前からして、

地元の魚は使ってなさそうですが、

昼の定食があるようで、

「銚子丸」に向かう前に、

入店を検討したのです。

 

ここで頂いたのが、

こちらになります。

 

 

春の松花堂弁当1380円

 

右上の揚げ物は、

カキフライなのですが、

かなり大ぶりのものが、

3つありました。

 

これで1380円は、

かなりお得だと思います。

 

この他にも、

上の画像にチラッと写っている、

ちらし寿司とうどんの昼定食や、

にぎり寿司の定食もあり、

どれも安く美味しそうでした。

 

満足の昼食のあと、

どうするか思案しました。

 

この日も、

17時にIWAに行く予定にしています。

 

本来は、

ギリギリまで千葉に居て、

空いている総武・中央線の普通で、

大久保駅に向かうつもりでした。

 

しかし、

思うように写真が撮れないため、

別のところに行こうと思いました。

 

そこで考えたのが、

海浜幕張駅です。

 

そこには、

千葉駅前では見られない、

平和交通の路線バスが乗り入れています。

 

千葉駅から、

海浜幕張駅に向かうには、

モノレールで千葉みなと駅に向かい、

そこから京葉線に乗るか、

外房線蘇我まで行き、

そこから京葉線に乗るのが一般的です。

 

しかし、

前者は、

すでに千葉に来る時に使っています。

 

後者は、

あまり気乗りしない方法です。

 

私は、

旅をする時は、

行きと帰りで、

違う方法があるのであれば、

違う方法を使うようにしています。

 

しかも、

極力バスを使うようにしています。

 

そこで考えたのが、

小湊バスで蘇我に行き、

そこから京葉線に乗る方法でした。

 

外房線ならひと駅、

数分で着くところ、

バスなら30分近くかかります。

 

て言うか、

思いのほか内陸側を通り、

乗ってからわかりました。

 

予定通り、

蘇我から京葉線に乗りましたが、

結局海浜幕張では降りず、

そのまま東京駅まで、

乗り通しました。

 

せっかく座れていたし、

乗ったのが快速だったので、

降りるのがもったいなくなったのです。

 

東京駅の、

京葉線ホームの上のフロアで、

IWAの予約をして、

そのまま山手線で、

新大久保駅に向かいました。

 

この日も、

店長が迎えてくれました。

 

そしてこの日は、

オーナーが居ました!

 

注文を取りにきてくれたのですが、

私のことを、

覚えていてくれたようです。

 

嬉しい!

 

その後、

野中美郷ちゃんと、

昨日話した別のバイトのコも出勤。

 

この日も、

彼女たちとの会話を挟みながら、

焼肉を美味しくいただきました。

 

 

前日もそうでしたが、

この日もデザートを2つ頼みました。

 

同時に2つ頼むではなく、

お腹の具合をみながら、

2回に分けて、

別々に注文したのですが、

2回目の注文の時、

内田眞由美ちゃんから、

 

「おっ。デザート2つ目やん。女子やな~」

 

と言われました。

 

肉とご飯類で、

お腹はいっぱいのはずでしたが、

デザートはまだ入りました。

 

「デザートは別腹」

 

とは、

まさにこのことです。

 

そして、

前日同様、

19時頃に、

店を出ることに。

 

この日の会計も、

野中美郷ちゃんでした。

 

明日、

大阪に帰ることと、

なるべく早く、

また来店することを伝え、

店をあとにしました。

 

余談ですが、

私の訪問後、

このようなメニューが設定されました。

 

 

これは、

このセットを注文すると、

撮影可能な店員さんと、

2ショットの写真を撮れるというもの。

 

今まで、

2000円で、

可能な店員さんと、

乾杯をして、

会話を楽しむというものはありました。

 

店内の撮影は可能でしたが、

店員さんの撮影、

ましてや2ショットの撮影は、

暗黙のルールで禁止でした。

 

ですから、

このメニューは、

嬉しい話です。

 

若干、

割高感はありますが、

元・AKBと2ショットが撮れることを思えば、

相応の額だと思います。

 

IWAを出たあと、

再び東京駅へ。

 

もちろん、

東京駅JR高速バスターミナルで、

主に夜行バスを撮るためです。

 

東京駅で、

写真を撮り終えたあとは、

山手線で大塚に戻り、

宿に帰りました。

 

翌日のチェックアウトは、

12時だったので、

それまではホテルでゆっくり過ごしました。

 

今回の宿は、

駅に近く便利でしたが、

部屋に冷蔵庫がなかったのと、

風呂の湯の調整が難しかったこと、

シャワーヘッドの調子が悪いことが難点でした。

 

チェックアウト後、

ホテルで案内されていた、

定食屋さんに行きましたが、

GW中だからか、

残念ながらやっていませんでした。

 

しかたなく、

東京駅に向かい、

久々のマクドナルドで、

昼食を摂り、

少しバスの撮影をしたのち、

15時40分頃の新幹線で、

大阪へと帰りました。

 

以上、

皆さんにはあまり興味はないでしょうが、

私のGWでした。

 

そいうえば、

前回の投稿が、

かなり好評でした。

 

ありがとうございます。

 

なるべく、

投稿の間隔を開けないよう、

努力しますので、

これからも、

弊ブログを、

よろしくご愛読願います。

警察の失態/やる気あるのか?

私が、

かつて在籍した救命救急センターは、

その特殊性から、

犯罪に関係した患者が搬送されてくることも、

珍しくありませんでした。

 

私が、

2年目で救命救急センターに異動になって、

そんなに間がない頃、

朝仕事に行くと、

まず、

救命救急センターの院内の出入り口に、

制服の警官が居ました。

 

そして、

当時の私の所属セクションであった、

救命救急センター一般病棟に行くと、

詰所に一番近い部屋に、

フィリピン人の女性が入院していました。

 

カルテによると、

その人は、

不法滞在で、

夜の飲食店(フィリピンパブ的なところ)で、

働いていたようです。

 

いわゆる、

 

「ジャパゆきさん」

 

です。

 

摘発されて、

逃げた際に、

高所から転落。

 

ろっ骨を多数骨折して、

救急搬送された次第。

 

約25年前のことなので、

うろ覚えのところもあるのですが、

その日その患者は、

私とペアを組んでいた人が担当していたと思います。

 

ですから、

清潔ケアをする時は、

本来私も一緒にするのですが、

その患者は女性で、

意識はしっかりしていたので、

私は遠慮しました。

 

片言ながら、

日本語を話すことができましたが、

仕事柄か、

日常会話というよりも、

その世界の言葉のほうが、

得意だったようです。

 

入院中は、

逮捕できないという、

治外法権的なことがあるので、

救命救急センターの院内出入口のところに、

警官が24時間詰めるという状態が、

退院の日まで続きました。

 

その任に当たっていた警官は、

時々居眠りをするような輩ばかりで、

 

「おそらく、署内で一番役に立たない者をよこしているのだろう」

 

と思ったものです。

 

しかし、

救命救急センターの医師によると、

以前は窓を開けて逃走した者も居たそうで、

救命救急センターの出入口に詰めているだけでは、

単なるポーズにしか思えませんでした。

 

それは、

現実のものとなります。

 

私が休みの日に、

件の患者は退院の日を迎えました。

 

病院の出口を出た瞬間、

待ち構えていた警察官が、

逮捕する手はずだったらしいですが、

それにもかかわらず、

逃げられてしまったそうです。

 

その話を聞いて、

 

「何やっとるねん」

 

と思いました。

 

この結果から逆に、

救命救急センターの院内に、

警察官を配置していたのが、

単なるポーズだったと、

言わざるを得ないのです。

 

「自分たちは、精いっぱいのことをしていたが、逃げられてしまった。しかたがない」

 

という、

言い訳のためです。

 

勤務中に居眠りをするような、

役立ちそうにない人員を配置しておいて、

何を言っているんだという話。

 

結局、

捕まえる気などなかったと言われても、

しかたがないと思います。

 

まあ、

本来入国管理局の仕事だから、

警察としては、

本腰ではなかったのかもしれません。

 

日本の、

公官庁の、

悪いところが出たのです。

 

自分たちのメンツのためだけに働いて、

他のとこころとの連携をはかろうとしない。

 

これは、

太平洋戦争の頃と、

なんら変わらない、

日本の悪しき伝統だと思います。

 

結局、

そのフィリピン人が、

どうなったかはわかりませんが、

逃げ延びることは、

到底むりでしょうから、

どこかのタイミングでみつかって、

フィリピンに、

強制送還されたのではないでしょうか。

 

余談ですが、

この患者、

ろっ骨を多発骨折したとのことで、

胸全体に、

コルセットを巻いていたのですが、

それを何度巻いても、

中の綿をむしって破壊するなど、

問題行動が続きました。

 

年齢で言えば、

私より少し年下。

 

今、

40代なかばぐらいでしょうか。

 

いずれにせよ、

幸せな人生を送っていることを願います。

 

そして、

警察には、

ポーズだけでなく、

きちんとした手順を踏んで、

的確な対応をしてもらいたいものです。

 

自分たちのメンツを守るためでなく、

市民を守るのために、

ひいては日本という国のために。

わかりやすい医師・SNDU

新しい仕事を始めるまでは、

毎日投稿していたのが、

ここのところ週1回しか投稿できていなくて、

もどかしく感じています。

 

皆様に、

もっと知ってもらいたい、

医療現場野裏側は、

いっぱいあるのですが・・・。

 

理想は、

土日が休みであれば、

金土日にそれぞれ1題ずつ投稿して、

余力があれば、

月曜日分として1題、

予約投稿ができることです。

 

しかし、

現状では、

なかなか難しいので、

ご理解いただけたらと思います。

 

それでは本題。

 

私が、

最初働いていた病院から、

転勤した系列の病院でのお話。

 

私が配属された病棟は、

内科の混合病棟でした。

 

詳しく言うと、

主に糖尿病と神経内科と緩和ケアの病棟でした。

 

転勤前から、

 

「転勤先の病院の医者は、一癖も二癖もある人が多い」

 

と聞かされていました。

 

救命救急センターでは、

個性の強い医師ばかりで、

重本のような気分屋も居ましたが、

基本的に、

仕事の面では頼りになる人ばかりでした。

 

ですから、

多少不安を覚えましたが、

いざ行ってみると、

たしかに節々そういうところはありましたが、

聞いていたほどではありませんでした。

 

「案ずるより産むが易し」

 

ということです。

 

その中に、

緩和ケアを担当する、

SNDUという、

女性医師が居ました。

 

元々は、

普通の内科医(専門は忘れました)でしたが、

家族(確か親)が癌になったことで、

緩和ケアに興味を持ったそうで、

それから緩和ケアの勉強をして、

緩和ケア医になったようです。

 

志は、

すごく良いと思います。

 

しかし、

このSNDU、

すごく

 

「わかりやすい」

 

医師でした。

 

それは、

悪い意味で。

 

どういうことか。

 

ある時、

SNDUが担当していた患者が、

夜中に亡くなりました。

 

「亡くなったらいつでも(夜中でも)連絡するように」

 

とカルテに表示されていたので、

連絡をしました。

 

するとSNDUは、

夜中にもかかわらず、

病院に来たのです。

 

そして、

死亡確認・死亡診断書の作成も、

自ら行っていたはずです。

 

さらに、

家族に、

泣きながら対応していました。

 

その時は、

どうだったか忘れましたが、

弔いの花束を持参することもありました。

 

その姿だけ見れば、

 

「素晴らしい医師だ」

 

と思うかもしれません。

 

実際私も、

その時はそう思いました。

 

しかし、

それは違ったのです。

 

また別の日に、

同様に夜中、

患者が亡くなりました。

 

前回と同様、

SNDUに連絡しましたが、

反応は全く違いました。

 

「当直医に、死亡確認と死亡診断書の作成をお願いして」

 

結局、

来院することなく、

指示通りに、

死亡確認・死亡診断書の作成を、

当直医にお願いして、

お見送りは、

看護師だけで行いました。

 

この2つの事例の違いは、

一体何なのか。

 

もう、

薄々気付いていることと思いますが、

要は

 

「袖の下」

 

つまりお金です。

 

正規の入院費の他に、

医師に直接お金を渡している人には、

前者のような手厚い対応をして、

そうでない人には、

後者のような対応を取るということです。

 

本当に、

わかりやすい対応です。

 

私が最初に働いた病院、

そしてこの転勤した病院を含め、

系列の病院では、

正規の入院費・治療費以外に、

金銭・物品を受け取ることは、

表上禁止されていました。

 

ですから、

退院の時に、

家族がお菓子を看護師に持ってきても、

丁重にお断りしていました。

 

そいうえば、

救命救急センターの医師が、

嘆いていたのを思い出しました。

 

「俺ら、そいういの(袖の下)無いから、全然儲からへん」

 

救命救急センターの医師は、

他の医師より激務をこなしているのに、

自ら求めることもしないのです。

 

逆に、

素晴らしいと思います。

 

「袖の下」

 

に関しては、

医師の

 

「悪しき伝統」

 

なのですから。

 

しかも、

患者側が自らの意思で、

渡すのならともかく、

自らそれを要求するというは、

もってのほかだと思います。

 

私の父は、

心臓ペースメーカーを留置していたのですが、

それが逆に悪影響を与えているので、

除去することになりました。

 

本来なら、

心臓ペースメーカーの除去は、

循環器内科医によって、

心臓カテーテル室で行われるのですが、

癒着がひどく、

手術室で外科的に行われることになりました。

 

すると、

執刀医は全然そんなそぶりはなかったのに、

麻酔科医が、

術前訪問の際に、

口には出さないけど、

そんな態度を見せたそうです。

 

これは、

母から聞いた話です。

 

母は、

 

「渡したほうが良いのはわかっているけど、うちにはそんな余裕がない」

 

と言いましたが。

 

しかし私は、

 

「そんな必要はない」

 

と言いました。

 

確かに、

裕福であれば、

私も渡すかもしれません。

 

しかしその時、

私は近畿中央病院を

 

「クビ」

 

になって無職でしたし、

そうでなくても、

一般庶民ですから、

なぜ裕福な医師にお金を渡さなければならないのか、

疑問しかありません。

 

給料を貰っていないのならわかりますが、

医師は給料をもらって、

手術をするなり、

麻酔をかけるなりするのです。

 

要は、

 

「仕事」

 

です。

 

給料以上に、

報酬を貰おうとするのは、

おかしな話です。

 

そこはあくまで、

患者側の意思に任せるべきではないでしょうか。

 

患者側から、

渡すというのであれば、

受け取ってもいいでしょうし、

患者側が、

渡せる状況にないのであれば、

要求など、

するものではありません。

 

一番カッコいいのは、

例え家族が渡してきても、

お断りすることだと思います。

 

父の件の麻酔科医のように、

要求する態度を見せるというのは、

カッコ悪い以外の、

何ものでもありません。

 

それなら、

口に出して、

 

「お金をくれ」

 

と言ってくれたほうが、

まだマシです。

 

しかも、

執刀医に渡すのならともかく、

なぜ麻酔科医に渡さなければならないのか。

 

お金を渡さなければ、

麻酔の量を減らすのですか?

 

それとも逆に、

麻酔を過剰投与して、

死に至らしめるのですか?

 

私情を、

仕事に持ち込むなど、

最低の人間がやることです。

 

「袖の下」

 

にかかわらず、

自分の仕事を完璧にこなすことが、

カッコいいことなのではないでしょうか。

 

医師に、

 

「袖の下」

 

を渡すのは、

裕福な方々だけでいいのです。

 

一般庶民は、

この悪しき伝統を変えるべく、

金銭・物品の供与はやめましょう。

 

そんなことをしても、

医師の対応は変わりません。

 

それで、

態度を変える医師のほうが、

信用できません。

 

実際、

私が良い医師だと思っている人は、

金銭・物品を貰おうが貰わまいが、

人によって態度を変えることはなく、

仕事に取り組んでいます。

 

そういう医師に出会うことのほうが、

金銭・物品で釣ることより、

大切だと思います。

 

医師は、

お菓子を貰った時には、

看護師にまわしてくれたりします。

 

多分、

自分たちだけでは、

食べきれないぐらい貰っているからだと思います。

 

くれるから良い医師というわけではなく、

やはりそこは、

仕事と人柄で、

判断するべきです。

 

近畿中央病院でも、

金銭・物品の受け取りは、

禁止されています。

 

しかし、

退院時に、

祝儀的に、

お菓子を持ってくる家族がほとんどです。

 

病院の方針を説明して、

丁重にお断りするのですが、

それでも、

強引に置いていく人も少なくありません。

 

事情を病棟師長に説明して、

結局受け取ってしまうことになるのですが、

退院時は別に、

受け取ってもよいのではと思います。

 

退院は、

めでたいことであって、

お菓子は

 

「ご祝儀」

 

なのですから。

 

ただし、

基本的に受け取らない方針であることと、

自ら求めないことだけは、

厳守するべきです。

 

前に話したかもしれませんが、

以前に話した、

救命救急センターの病棟師長だったMRYMが、

看護師がやむを得ず受け取った、

退院時に患者が渡したお菓子を、

郵送で送り返したことがありました。

 

それは、

病院の方針を遵守した結果ですが、

これはやり過ぎだと思います。

 

今回は、

結果的に医師の2例を挙げましたが、

何回も言います。

 

裕福でない限り、

医師に金銭を渡す必要はありません。

 

それで、

態度を変えるような医師に、

診てもらう必要はありません。

 

そのお金を使って、

金銭で動じない、

良い医師を探すほうが、

よほど有用です。

 

私のこの記事をみて、

耳が痛い医師が、

多くないことを望みます。

「経営に参画する」・・・約20年の時を経て奇しくも同じ目標を掲げた2つの看護部/その内容には違いあり!

先週は、

土曜日まで仕事だったので、

投稿が遅れました。

 

今日の話題は、

看護部が毎年掲げる

 

「目標」

 

についてです。

 

看護部は、

毎年、

その年の目標を設定します。

 

もちろん、

何を目標にして、

仕事に取り組めばいいのか、

示してもらったほうが、

こちらとしては働きやすいので、

それ自体は良いことだと思います。

 

しかし、

現場の意見を、

必ずしも反映しているわけではなく、

的外れなことが多いのが、

この

 

「目標」

 

なのです。

 

なにせ、

現場の意見をまったく聞かずに、

看護部の首脳たち(看護部長・副看護部長)が、

 

「机上の空論」

 

で考えることなのですから。

 

まず最初に、

題目にある

 

「経営に参画する」

 

という目標を聞いたのは、

最初に看護師として働いた病院でした。

 

時期としては、

その病院で働き始めてから、

数年が経ってからのことでした。

 

ただこの時は、

積極的に

 

「患者勧誘をしろ」

 

というよりも、

 

「コスト削減の努力をしろ」

 

という意味合いのほうが、

強かったのです。

 

例えば、

私が所属していた救命救急センターでは、

気管内挿管や気管切開をしている患者に対して、

痰の吸引を行う場合に、

1度の吸引で3回行うとしたら、

3回とも新しい吸引チューブを用いて、

吸引を行っていました。

 

当時でも、

こんなことをしている施設は、

あまりなかったようです。

 

それを、

1度の吸引で、

何回吸引を行うとしても、

1本の吸引チューブで行うように、

改めました。

 

吸引と吸引の間は、

アルコールで消毒し、

終了したら、

その時使っていた吸引チューブは破棄。

 

そして、

次の吸引の機会には、

新たな吸引チューブを使用するのです。

 

吸引は、

2時間ごとに、

体位変換のあとに行うので、

改めたあとは、

1日に12本の使用となります。

 

それまでは、

1度の吸引で3回吸引するとして、

1日に36本の使用でしたので、

確実にコストダウンとなりました。

 

こういうことで、

コストダウンをはかり、

 

「経営に参画」

 

するのであれば、

全然問題はありません。

 

しかし、

この言葉の裏には、

少なからず、

 

「看護師が積極的に行動して新規患者を獲得せよ」

 

という内容が含まれていました。

 

看護部は、

あえて口のには出しませんでしたが、

そういうニュアンスが、

ひしひしと伝わってきました。

 

しかし、

新規患者の獲得は、

医者ならびに、

病院を運営している、

事務方の仕事ではないですか?

 

病院で唯一、

24時間稼働していて、

激務をこなしている看護師に、

さらなる負担を強いるというのは、

いかがなものかと思います。

 

看護部も、

反発を招くのがわかっていたからか、

そのことを、

あえて前面に出さなかったのです。

 

当時の看護部は、

今と比べたら、

まだ常識を持ち合わせている人が居ましたから、

そういう人が、

ストップをかけたのだと思います。

 

次に、

看護部が、

この目標を掲げたのが、

20年以上の時を経た、

近畿中央病院でした。

 

久々登場の、

前田正美が、

看護部長をしていた時です。

 

ただ、

同じ

 

「経営に参画する」

 

ということでも、

ニュアンスが違いました。

 

以前働いていた病院では、

前述のように、

内心は看護師自らが、

新規患者を獲得する要素を含みつつも、

それを前面に出すことはできない(組合がうるさい)から、

コストダウンを意識することを、

表の理由としました。

 

しかし、

近畿中央病院の看護部は違いました。

 

看護師に、

新規患者を獲得するために動くことを、

求めたのです。

 

先にも述べたように、

24時間稼働し、

激務をこなしている看護師に、

公然とさらなる負担を、

求めたのです。

 

これは、

組合が機能していないこと、

そして、

近畿中央病院の経営状態のひっ迫が、

原因として挙げられます。

 

そもそも、

近畿中央病院の事務方は、

何の努力もせずに、

漫然と病院を経営してきたので、

そのツケが回ってきただけなのに、

そのツケを、

看護師に押し付けるとは、

言語道断です。

 

近畿中央病院は、

Googleの口コミで、

平均評価が3.3(3が標準)あるのですが、

標準以上の評価を得ている病院が、

経営がひっ迫して、

数年後に吸収合併されるというのは、

不可解かつ滑稽な話です。

 

そんなに、

人気がある病院であれば、

経営もうまくいっていて、

単独で建て替えができるはずです。

 

そもそも、

前々院長の案のまま、

前院長・有田憲生が、

建て替えをしていたら、

自ずと、

新規患者を獲得できていたのです。

 

それらすべてのツケを、

すべて看護師に押し付けようとしたのです。

 

こんな理不尽、

あり得ないでしょう。

 

近畿中央病院とは、

そんな病院です。

 

とにかく、

いずれにしても、

普段激務をこなしている看護師に、

経営まで押し付けること自体が、

間違っているのです。

 

経営は、

事務方が行っているのですから、

その努力は、

事務方が行うべきです。

 

「売り」

 

が欲しいのなら、

腕の良い医師を、

引き抜いてくるか、

既存の医師の、

技術向上をはかるべきです。

 

新たな、

腕の良い医師を獲得するお金もないし、

医師に意見できないから、

結局文句を言わない(言えない)看護師に、

無理を強いてくるのです。

 

頼むから、

看護師には、

日々気持ちよく、

看護の仕事を、

気持ちよくできるよう、

配慮してほしいものです。

 

看護師に、

 

「経営に参画する」

 

ことを求める病院の末路など、

たかだか知れています。

 

そう、

近畿中央病院のように、

消滅する運命にあるのです。

番外編・大場美奈卒業コンサート

久しぶりの投稿になります。

 

先週は、

今からお話しする、

 

大場美奈卒業コンサート

 

を観に行っていて、

投稿できませんでした。

 

コンサートは、

横浜で行われ、

私にとっては、

結核を発症する寸前に行った、

2019年11月以来の、

関東遠征となりました。

 

今回は、

そのレポートをしたいと思います。

 

その時、

タブレットを持参していたので、

宿泊先のホテルで、

投稿するつもりでしたが、

コンサート以外にも、

精力的に活動していたので、

ホテルに戻った時には、

疲労困憊して、

できませんでした。

 

まず、

出発は4月1日金曜日。

 

この日は、

昼間普通に仕事でした。

 

用意もできてなかったので、

極力早く家に帰りました。

 

OCATを、

22時25分に出る、

東北急行バスの、

 

「フライングライナー」

 

で、

まず東京へ向かいました。

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※4月2日 東京駅八重洲通りにて下車後に撮影

 

この路線に乗るのも、

東北急行バスに乗るのも、

初めてでした。

 

正確に言うと、

この路線に統合された、

 

ブルーライト

 

という、

大阪と横浜を結ぶ路線には、

乗ったことがあります。

 

その時は、

共同運行会社である、

近鉄バスでした。

 

約2年半ぶりの夜行バスでしたが、

それまでも乗り慣れているし、

なにより昼間仕事をして、

疲れていたので、

そこそこは眠れました。

 

私は、

夜行バスでは、

あまり眠れないのですが、

今回は、

眠れたほうでした。

 

途中、

新名神の土山サービスエリアで、

休憩がありましたが、

眠気のほうが強くて、

下車しませんでした。

 

ここが、

この路線で唯一、

乗客が下車できる休憩場所でした。

 

その後、

乗務員交代と点検のため、

数ヶ所のサービスエリアに停車し、

その都度目が覚めましたが、

間間は、

眠りました。

 

最終的に目が覚めたのは、

東名の海老名サービスエリアに、

停車している時でした。

 

その後、

保土ヶ谷バイパスと、

横浜新道を経由して、

横浜駅西口へ。

 

そして、

首都高を経由して、

東京駅八重洲通りへ。

 

私は、

初めて乗る高速バス路線、

特に夜行バスは、

始発から終点まで乗ることにしているのですが、

今回はスケジュール上の都合から、

途中のOCAT から乗車し、

途中の東京駅八重洲口で下車しました。

 

この路線、

あべのが始発で、

ディズニーランドが、

終点なのです。

 

東京駅八重洲通りに着いてから、

東京駅周辺に発着する、

バスの写真を撮りました。

 

私は、

前にも話しましたが、

当ブログ以外に、

バスのブログを、

運営しているので、

そこに投稿するネタを、

収集したのです。

express_habanaのブログ (hatenablog.com)

 

東京駅八重洲口には、

東京駅JR高速バスターミナルを中心として、

多くのバス発着所があるのです。

 

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※東京駅八重洲北口・鉄鋼ビル付近

 

10時半過ぎまで、

この周辺で写真を撮ったあと、

中央線に乗って、

新宿に移動しました。

 

新宿には、

 

「新宿高速バスターミナル(バスタ新宿)」

 

という、

巨大バスターミナルがあります。

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バスタ新宿

 

ここは、

新宿駅周辺に分散していた、

高速バス乗り場を、

1ヶ所に集約したところです。

 

ですから、

ここだけで、

新宿を発着する高速バスを、

ほぼ網羅できるのです。

 

ちなみに、

東京駅八重洲口の地下に、

今高速バスターミナルを建設中で、

今年秋に開業するようです。

 

JR系以外の、

東京駅八重洲口を発着する高速バスが、

そこに集約されるようです。

 

宿を、

横浜の伊勢佐木町にとっていて、

コンサート前にチェックインするつもりだったので、

14時前に新宿を出発しました。

 

宿の、

JRの最寄り駅は根岸線の関内なので、

関内で降りました。

 

関内で降りたのは、

指原莉乃卒業コンサートで、

横浜スタジアムに行って以来。

 

昼食を摂っていなかったので、

チェックイン前に、

遅い昼食を摂ってから、

ホテルに向かいました。

 

ホテルは、

繁華街を通って、

その1つ筋はずれにありました。

 

「徒歩7分」

 

となっていましたが、

初めて来たこともあり、

遠く感じました。

 

ホテルの名前は、

あえて伏せますが、

若干レトロではあるものの、

ビジネスホテルの割には、

ロビーも広く、

高級感がありました。

 

部屋は、

ツインでした。

 

ツインであることを差し引いても、

新しいビジネスホテルにはない、

広さでした。

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宿は、

 

じゃらん

 

で予約したのですが、

今回ポイントを使って、

宿泊代は、

7800円のところ、

 

「0円」

 

でした。

 

なおかつ、

プランとして、

 

「25時間滞在」

 

ができるもので、

12時チェックインの、

翌13時チェックアウトでした。

 

私は、

15時頃チェックインしたので、

最大

 

「22時間滞在」

 

ができます。

 

コンサートが、

15時30分開場・16時30分開演なので、

休憩もそこそこに、

会場である

 

「KT Zepp Yokohama」

 

に向かいました。

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※KT Zepp Yokohama

 

今回のコンサートですが、

4月1日から4月3日にかけて、

4公演が行われました。

 

4公演とも、

出演メンバーも、

コンセプトも違うものとなっていました。

 

1公演目は、

4月1日に、

 

パシフィコ横浜国立大ホール」

 

で行われました。

 

副題は、

 

「卒業してもずっとかわいくてすいません」

 

諸事情で参加できない、

2名を除いた、

SKE48メンバー全員参加でしたから、

観たかったのですが、

この日は仕事で、

就職したばかりで、

有給休暇もまだないので、

無理でした。

 

2公演目が、

私が参加したもので、

4月2日開催。

 

副題は、

 

「明日、晴れたらいいのにな」

 

2~4公演は、

前述のように、

 

「KT Zepp Yokohama」

 

での開催でした。

 

なぜ、

名古屋のSKEのメンバーの卒業コンサートが、

横浜で行われたかと言えば、

それは大場美奈が、

神奈川出身だからです。

 

それに、

AKBに9期生として入って、

SKEとの兼任を経て、

SKEに完全移籍したので、

関東のファンのことも、

考慮したのかもしれません。

 

3公演目・4公演目は、

4月3日に開催。

 

副題は、

 

るんるん、30さいのおたんじょうび会」

 

4月3日は、

大場美奈の、

30歳の誕生日なのです。

 

本心を言えば、

SKEイチの推しメン、

鎌田菜月ちゃんをはじめ、

推しているメンバーが多いので、

3公演目を当てたかったのですが、

ハズレました。

 

4公演目は、

3公演目と同じ副題ですが、

出演メンバーも内容も、

3公演目とは異なります。

 

しかも、

後日談として、

多くのOGメンバーが、

出演したようです。

 

私が参加した2公演目は、

主に若手メンバーが、

出演するものでした。

 

まだ、

握手会やトーク会などでの、

接点はないのですが、

推しメンのひとり、

坂本真凛ちゃんが出演するので、

全然悪いことはありませんでした。

 

観覧する席ですが、

入場券を発券した時点で、

嫌な予感はしていたのですが、

2階席のいちばんうしろでした。

 

しかし、

うしろに人が居ないのは、

逆に良かったです。

 

大場美奈本人の影アナで始まり、

1曲目は、

大場美奈のソロ。

 

その後、

間にMCを挟んで、

全体曲とユニット曲。

 

しかし、

一向に主役の大場美奈が、

ステージに立ちません。

 

MCで、

本人が言っていたのですが、

若手メンバーの、

今後に期待して考えた演出だったとか。

 

そして、

アンコールから、

大場美奈も、

歌に参加しました。

 

楽しい時間は、

あっという間に過ぎ、

18時30分頃、

コンサートは終了しました。

 

もう1時間ぐらい、

あると思っていたので、

少し意外な感じでした。

 

思ったよりも、

早く終わってしまったので、

終了後は、

再びバスタ新宿へ。

 

湘南新宿ラインの、

横浜方面の最終が、

新宿22時58分発なので、

それに乗って、

宿に帰りました。

 

こんなことなら、

東京に宿を取ればよかったと思いました。

 

関内で降り、

コンビニに寄り、

宿に帰り着いたのは、

日付が変わる頃でした。

 

コンサートの余韻のためか、

なかなか寝つけず、

関東ローカルの深夜番組を観て、

1時過ぎ頃に、

眠りました。

 

ここで、

13時チェックアウトであることが、

生きてきます。

 

寝ついたのが遅かった分、

起きたのが遅かったので、

チェックアウトまで、

ゆっくり過ごすことができました。

 

翌4月3日は雨。

 

本当は、

横浜駅西口か、

東京駅八重洲口で、

バスの写真を写したかったのですが、

雨ということで、

建物の下にあって、

雨の影響を受けない、

横浜駅東口バスターミナルに向かいました。

 

宿最寄りのバス停から、

バス1本で行けるようなので、

それで向かいました。

 

そこで、

バスの写真を撮ったあと、

大阪に帰るために新横浜へ。

 

新幹線の席を確保したあと、

新横浜でもバスの写真を。

 

そして、

その日の夕食用に、

崎陽軒

 

シウマイ弁当

 

を買い、

15時半ぐらいの新幹線のぞみで、

大阪へと帰りました。

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ちなみに、

乗ったのぞみが、

N700系Sでした。

 

見かけは、

N700系と、

ほとんど変わりませんが、

モーター音が、

全然違いました。

 

2年半ぶりの関東遠征は、

とても楽しかったです。

 

そして関東、

特に東京・横浜は、

大阪と比べて、

 

「いちいちオシャレ」

 

でした。

 

今の職場では、

看護師の時のように、

長期の休暇は取れそうにありませんが、

また以前のように、

1週間滞在したいです。

 

SKEの現場は、

昨年10月21日の、

 

鎌田菜月生誕祭」

 

以来。

 

結核での入院・療養や、

仕事を失ったこともあって、

握手会やトーク会など、

現場にはなかなか行けませんでしたが、

新しい仕事を始めたので、

徐々に行くことができたらと思います。

 

しかし、

それよりも先に、

私が妹のように思っている、

後輩看護師に会いたいです。

 

最後に、

大場美奈との接点は、

チームKⅡ公演を観に行ったのと、

AKB時代に、

全国握手会で握手したぐらいしかありませんが、

今後のみなるんの活躍を、

応援したいと思います。

サマリーとレジュメ/なぜ使い分ける!看護師の不思議

昨日の土曜日は仕事でした。

 

今週も、

忙しい1週間でした。

 

今日の話題は、

2つの言葉です。

 

まずは「サマリー」

 

「サマリー」

 

は英語で、

日本語では、

 

「要約・要旨・概要・要点」

 

などの意味があります。

 

看護の世界では、

患者が転院する際に、

相手方の施設に、

その患者の情報を、

書面にして渡します。

 

その書面を、

 

「看護要約」「看護サマリー」

 

と言います。

 

私は、

 

「看護要約」

 

でいいと思うのですが、

なぜか

 

「要約」

 

の部分だけ英訳して、

このように呼んでいます。

 

それなら、

 

「ナーシングサマリー」

 

と言えばいいと思うのですが、

そうは言いません。

 

たぶん、

長くなるからだと思いますが、

 

「看護サマリー」

 

は中途半端だと思います。

 

それなら、

 

「看護要約」

 

でいいと思います。

 

「日本人なら日本語を使え!」

 

と思います。

 

次に「レジュメ」

 

これは、

看護の世界(だけではないと思いますが・・・)では、

会議や話し合いにおいて、

議題について印刷した書類を、

そのように呼んでいます。

 

「レジュメ」

 

はフランス語で、

日本語に訳すと

 

「要約・概要」

 

つまり、

多少のニュアンスの違いはありますが、

 

「サマリー≒レジュメ」

 

なのです。

 

ですから、

この2つを使い分けている意味が、

私にはまったく理解できません。

 

それなら、

 

「看護レジュメ」

 

でもいいわけです。

 

そもそも、

英語とフランス語を、

両方使っていることが問題です。

 

それ以前に、

前述のように、

日本人だから日本語を使えばいのです。

 

外来語を使いたいのであれば、

 

「看護サマリー」

 

というような、

 

「日本語+英語」

 

のような使い方をするのではなく、

これまた前述のように、

 

「ナーシングサマリー」

 

と言うべきです。

 

私は、

外来語が嫌いなわけではありませんが、

極力日本語を使うべきだと思っています。

 

それに、

 

「レジュメ」

 

と言う言葉が、

好きになれない(はっきり言えば嫌い)ので、

会議の進行を行う際には、

 

「○○会議次第」

 

と、

書面に打つようにしています。

 

「次第(しだい)」

 

には、

 

「順序」

 

という意味があるので、

この順番で、

話し合いを進めるという、

正しい表現になるのです。

 

「レジュメ」

 

は、

 

「要約・概要」

 

ですから、

話し合いなどが終わったあと、

その内容を書面にする際には、

使っていいと思います。

 

しかし、

話し合いが始まる前から、

 

「要約・概要」

 

と表現するのは、

的が外れていると思います。

 

先輩たちが使っているから、

それを右にならえで使うのではなく、

本来の意味を学習し、

正しい使い方をしましょう。

 

この2語以外にも、

本来の意味を知っていると、

滑稽以外の何ものでもない言葉を、

看護師はたくさん使っています。

 

前に話した、

 

クリティカルパス」と「クリニカルパス

 

のように。

「クリティカルパスです。間違わないでください」/どっちでもええわ! - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

ある意味正しい判断・しかし。。。

看護師には、

何年目にコレをやる(やらなければならない)ということが、

設定されています。

 

施設によって異なりますが、

私が最初に勤めた病院のグループは、

2年目に看護研究、

3年目に2年目看護研究の講評、

4年目に新人指導というように。

 

近畿中央病院においては、

3年目に、

新人指導をすることになっています。

 

しかし、

以前に話したように、

 

「〇年目だから・・・」

 

と、

能力や経験が伴っていないのに、

年数だけで判断することは、

おかしいと思います。

 

私の場合、

1年で、

成人精神神経科から救命救急センターに異動になったにもかかわらず、

 

「2年目だから」

 

ということで、

看護研究をすることになりました。

 

2年目に、

看護研究をする意義は、

1年その部署を経験したことを活かして、

取り組むことにあると思います。

 

年数は、

関係ないのです。

 

そして、

また1年で、

救命救急センター一般病棟から、

救命救急センター重症病棟に、

部署内異動になりました。

 

3年目の、

2年目看護研究の講評は、

部署には関係がないので、

抵抗なく行えました。

 

そして、

看護部長・副看護部長から、

最高の評価を得ることができました。

 

そして、

4年目には、

新人指導を行うことになるのですが、

これも私の場合は、

他の者に比べて、

ハンデを背負うことになります。

 

他の者は、

3年間同じ部署を経験して、

4年目に新人指導を行うのですから、

部署のことを知り尽くした上で、

行うことができるのです。

 

しかし、

私の場合、

1年ごとの部署異動で、

1年しか経験がないのに、

新人指導を行うことになったのです。

 

救命救急センター一般病棟と、

救命救急センター重症病棟は、

同じ部署ですが、

内容は全然違いますし、

それでも、

2年の経験で、

新人指導に当たることになるのです。

 

「〇年目だからコレをやななければならない」

 

そんな考えは、

捨てるべきです。

 

新人指導の場合、

教えられる側(新人)に、

影響が出る場合があります。

 

いい加減な指導をすることによって、

教えられた側がいい加減に育って、

いい加減に育った者が、

また新人指導を行えば、

負の連鎖となります。

 

現実、

そのようになってしまいました。

私がプリセプターをした新人看護師①INUE Vol.1 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

私がプリセプターをした新人看護師①INUE Vol.2 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

私がプリセプターをした新人看護師①INUE Vol.3 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

しかし、

これは、

このINUE自身の性格その他によるもので、

私の指導とは関係のない結果です。

 

実際、

普段厳しい先輩から、

 

「よく育てた」

 

と、

高い評価を受けました。

 

つまり、

私の指導は良かったが、

本人の資質によって、

本人自らが、

間違った方向に行ってしまったということです。

 

この新人指導に関し、

私と意見が合う看護師長が、

近畿中央病院に居ました。

 

このブログにも、

何度か登場している、

FKMT師長です。

勤務表づくりは天性の才能 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

久々にこの話題・労災の軌跡 Vol.14/同僚の反応 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

病棟単位の去就状況・近畿中央病院 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

夜勤前日の日勤で他の病棟に応援に行かせる不可思議な采配 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

私が、

6階病棟から、

病棟再編で5階に異動になり、

たった1年でまた6階に戻った2015年、

3年目の看護師が4人居ました。

 

そのうち3人は、

まったくの3年目でしたが、

1人は、

他の施設での経験がある看護師でした。

 

この年、

6階病棟には、

4人の新人が配属されていました。

 

本来なら、

3年目が4人に新人が4人ですから、

それぞれ1人ずつ担当すれば、

いいはずでした。

 

しかし、

新人指導は、

もっと年数のいった人が2人、

1人で2人指導するかたちになっていました。

 

私は、

異動してきたところでしたが、

そのことを疑問に思っていました。

 

あとになって聞いた話ですが、

FKMT師長の、

 

「(3年目の)4人とも、新人指導をする資質がない」

 

との判断で、

新人指導をさせなかったとのこと。

 

それは、

ある意味では正しい判断だと思いますが、

ある意味では間違っていると、

私は思います。

 

他人にモノを教えるということは、

いい加減なことはできないということです。

 

つまり、

他人の指導を行うことで、

自分自身も勉強をするので、

自身の成長につながるのです。

 

ですから、

3年目の3人に、

成長してほしいのであれば、

あえて新人指導をさせるというのも、

手段だと思います。

 

それぞれ、

1人ずつ指導させるのに、

難があるのであれば、

2人1組にして、

2人で1人を指導するようにするとか。

 

何なら、

4人で1人を指導するようにするとか、

やりかたは、

いくらでもあったと思います。

 

もしかして、

他の部署の3年目が、

新人指導をしているのに、

自分たちだけさせてもらえないという、

屈辱を味あわせることで、

やる気を起こさせようとしたのかもしれませんが、

それは、

今どきのコの気質を、

見誤っています。

 

今どきのコは、

面倒なことを嫌います。

 

新人指導は、

面倒なことなので、

それを免れる、

しかも上司からしなくていいと言われたのなら、

それで万々歳なのです。

 

屈辱など、

感じることはありません。

 

今どきのコには、

あえてさせてみるほうが、

正解なのです。

 

結局、

FKMT師長は、

1年で他の部署に異動になり、

3年目の4人は、

新人指導につくことがなく、

中に浮いてしまいました。

 

そのうち1人は、

2016年3月で退職。

 

2人は、

2年以内に退職。

 

1人は、

私が近畿中央病院を辞める時点で、

産休か育休中でした。

 

新人指導を経験しないまま、

3人が退職に至っているのです。

 

さすがに、

それはヤバいと思ったのか、

2年以内に退職した2人には、

指導者が居ない時、

積極的に新人のフォローが付けられていましたが、

時すでに遅し。

 

1人は、

すでに退職が決まっている、

寸前のことでした。

 

「〇年目だからコレをやらなければならない」

 

と、

強行するのも問題ですが、

やらせないのも、

それはそれで問題です。

 

させられない、

資質しかないのであれば、

それはその人達を指導した者の責任であり、

追求すべきはそこなのです。

 

そして、

どうすれば、

能力や資質が不足している者に、

その役割を担ってもらえるのか、

それを考えるのが、

看護師長そして主任(副師長)の、

大切な役割だと思います。

 

もちろん、

部下も、

 

「〇年目だからコレをやらなければならない」

 

とあらかじめ決まっているのであれば、

それに向けて、

自身の向上をはかるべきです。

 

努力した上で、

無理なのであれば、

それはしかたがないことです。

 

努力をしなくて、

できないと判断されたのであれば、

それは自身の責任です。

 

私は、

3年目の4人が、

そこまで資質に欠けているとは思えませんが、

FKMT師長には、

何か思うところがあったのかもしれません。