看護部本日モ反省ノ色ナシ

看護師を中心に医療界の変なエピソードを話していきます

私は看護師をしておりますが まあおよそ一般社会では通用しないことがまかり通る それが看護師の世界です そんな看護師のエピソードとともに 医療界(病院)の変なことも話していきたいと思います

久々にこの話題・労災の軌跡 Vol.14/同僚の反応

不幸話のほうが、

ウケがいいみたいなので、

久々に、

この話題に触れます。

 

本来なら、

この続きを書くべきところですが、

まとめるのに時間がかかっているので、

先に別のことを話します。

やっとこの話題に・労災の軌跡 Vol.2-1/時系列 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

以前にも、

この件の関する、

同僚の反応は、

述べていますが、

今回、

まとめて述べていきます。

 

2019年12月18日に、

発熱・咳・倦怠感といった、

症状が出現しました。

 

それで、

翌日19日・翌々日20日と、

仕事を休みました。

 

その時は、

まさか結核に罹患しているとは、

夢にも思っていなかったので、

季節的に、

インフルエンザを、

疑っていました。

 

19日、

近医を受診して、

インフルエンザは否定されました。

 

風邪の診断で、

内服が処方され帰宅。

 

翌日、

再度受診して検査をした結果、

インフルエンザは、

完全に否定されました。

 

2019年12月21日、

この日は土曜日だったので、

どうしても出勤する必要がありました。

 

平日と違って、

勤務人数が限られるので、

代わりがきかないのです。

 

幸い、

倦怠感は残っていたものの、

熱は36℃台に下がっていました。

 

今まで、

何度も話してきたように、

熱がなければ、

休む理由はないのです。

 

しかし、

勤務しているうちに、

だんだんとしんどくなってきました。

 

夕方、

熱を測ると、

37℃台なかばを示しました。

 

しかも、

間が悪いことに、

日勤最後に、

患者が1人亡くなりました。

 

夜勤に、

任せるわけにはいかないので、

日勤で、

死後の処置など、

行う必要があります。

 

普段の、

元気な私なら、

もちろん率先して残って、

それらを行います。

 

しかしこの時は、

倦怠感が強くて、

とてもそんなことをできる状態では、

ありませんでした。

 

なので、

リーダーだったのですが、

看護記録を終えると、

 

「残らないといけないのはわかっているけど、しんどいので帰ります」

 

と言って帰りました。

 

その時、

私より先輩だったのは、

相手方のリーダーだけだったと思いますが、

他のメンバーの反応は、

冷ややかなものでした。

 

「え?この状況で帰るの?ええ根性してるな」

 

と、

言わんばかりでした。

 

なんなら、

その年の4月に、

他の病棟から異動してきた若い看護師が、

いちばんそのような表情をしていました。

 

翌22日と、

翌々日23日は、

元々休みでした。

 

この2日、

ゆっくり休んで、

以降の勤務に備えるつもりでした。

 

23日は、

処方が切れるため、

再度同じ近医を受診。

 

前回処方から、

1剤を減らしての、

継続処方でした。

 

2019年12月24日は、

日勤でリーダーでした。

 

20日・21日と休んだあと、

病棟師長・古川睦に会うのは、

この時が初めてだったので、

休んだことに対する詫びと、

経過報告をしました。

 

その時、

普通なら、

 

「大丈夫か?」

 

と、

心配するものだと思いますが、

古川は、

終始ニヤニヤしていました。

 

そう、

 

「仮病」

 

と、

思っていたのです。

 

他の看護師も、

同様でした。

 

ただひとり、

以前一緒に働いていて、

この時は他の病棟から応援に来ていた、

FJIさんという看護師だけが、

心配してくれました。

 

「病み上がりだと聞きましたけど・・・」

 

と。

 

この日も、

朝は大丈夫だったけど、

勤務しているうちに、

だんだんとしんどくなっていきました。

 

この日も、

リーダーだったので、

基本的には詰所に居ますが、

病室に行くことも多々あります。

 

それで、

廊下を歩いていると、

その病室にたどり着く前に、

しんどくて動けなくなりました。

 

目が回って、

立ち眩みがするのです。

 

それが落ち着くまで、

廊下の壁にもたれかかって、

落ち着いたら動く・・・。

 

こんなことを、

繰り返していました。

 

そんなに様子をみても、

看護師は誰も心配しませんでした。

 

なんなら、

なじみの患者が、

心配してくれるような状態でした。

 

追い打ちをかけるように、

SRDUという主任が、

 

体位変換を手伝ってください」

 

と言ってきました。

 

普段の私なら、

普通に手伝うのですが、

この時は、

腕に力が入らない状況になっていました。

 

なので、

 

「ちょっと勘弁してください」

 

と、

断りました。

 

しかし、

 

「またまた。そんなこと言って」

 

と、

冗談に取ったようで、

病室まで連れて行かれ、

結局、

体位変換を手伝うことになりました。

 

やはり、

腕に力が入らず、

しかも、

体力を使ったことで、

私は、

著しく消耗してしまいました。

 

12月21日の、

症状出現以降、

夕方以降に発熱(38℃台)して、

解熱剤の効果で、

翌朝には下がる状態が、

続いていました。

 

前述のように、

 

「熱が無ければ、例え倦怠感があっても、休む理由にはならない」

 

ので、

出勤するしかないのです。

 

ひどい時は、

日勤が終わって、

病院を出て駐車場で、

自分の車に乗ったら、

倦怠感が強すぎて、

車を動かすことができなかったのです。

 

1時間ぐらい、

車の中で休んで、

なんとか運転して、

自宅近くに借りている、

駐車場に到着しても、

今度は車から降りられないのです。

 

そこでさらに、

1時間ぐらい休んで、

やっとの思いで家にたどり着いても、

今度は家の中で、

座り込んだまま、

動くことができませんでした。

 

横になることもできず、

倦怠感が強くて眠ることもできず、

何もできませんでした。

 

食欲も、

もちろんありませんでしたが、

薬をのむために、

無理やりお粥(市販のパウチ入りのもの)を、

食べました。

 

こんな状況を知らないからといって、

よく仮病扱いができたものです。

 

「本当にお前ら看護師か?」

 

と言いたいです。

 

同僚が、

病気で苦しんでいても、

それを仮病扱いする、

それが、

近畿中央病院です。

 

とても、

 

「医療スタッフにとってやさしい病院」

 

ではありません!

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そして、

翌25日。

 

この日も、

私は日勤リーダーでした。

 

リーダーだから、

ギリギリ勤務できましたが、

受け持ちをするメンバーなら、

休んでいたと思います。

 

勤務中の状況は、

前日と同様でした。

 

そして、

看護師長・古川睦から、

このようなことを言われました。

 

「(私の名前)、明日代わりが居ないから、絶対に休むなよ」

 

翌日、

私は夜勤でした。

 

最初から、

こう言われては、

休むわけにはいきません。

 

夕方以降の状況も、

前日までと、

まったく変わりませんでした。

 

症状が出た18日から、

これまでの間、

体調を気遣ってくれたのは、

前述のFJIさんと、

あとEHRさんという、

私より先輩の看護師だけでした。

 

翌日、

朝起きると、

倦怠感は、

相変わらず強いものの、

熱はありませんでした。

 

本当は、

この時点で、

夜勤を休みたかったのですが、

以前に話した通り、

この時点で休む連絡をしたところで、

 

「もう少し様子見れないか」

 

と言われるのは、

目に見えていました。

 

これで、

午後の出勤前に連絡したら、

 

「もうちょっと早く言え」

 

と言われるのです。

 

結局、

どの時点で連絡しても、

何かしらの文句を言われるのです。

 

それに、

この日は、

出勤する直前でも、

発熱はありませんでした。

 

つまり、

休む理由がないのです。

 

倦怠感だけでは、

休ませてくれません。

 

以前話した通り、

看護師の世界は、

 

「熱があっても、座薬で下げて来い」

 

という世界です。

 

しかたなく、

私は出勤しました。

 

部署に着き、

情報取集を始めましたが、

倦怠感はさらに強くなり、

それどころではありませんでした。

 

その様子を察した、

ISIさんという看護師が、

 

「大丈夫ですか?」

 

と声をかけてきました。

 

こういう時、

まだ余裕があれば、

 

「大丈夫」

 

と、

嘘でも答えるものでしょう。

 

でも、

この時の私には、

そんな余裕はありませんでした。

 

「大丈夫じゃないかも」

 

と、

正直に言ったのです。

 

私自身が言っても、

仮病と思われている以上、

信じてはもらえないので、

他の人から、

古川に言ってもらえるのを、

期待したのですが・・・。

 

それでも、

なんとか情報収集を終えて、

今度は点滴の準備に、

とりかかりました。

 

夜勤の点滴は、

点滴カートから取り出して、

目線より高い位置にある、

棚の上に置かれています。

 

そこから、

点滴をとって、

下に降ろす作業を繰り返しているうちに、

目が回ってきました。

 

それで、

作業を中断して、

椅子に座って、

点滴作業台に、

上半身を伏せてしまいました。

 

その様子を見ても、

大半の看護師は、

見て見ぬふりです。

 

後輩の、

男性看護師が、

 

「大丈夫ですか?」

 

と声をかけましたが、

それ以上はありませんでした。

 

次に、

ITUさんという看護師が、

声をかけてきました。

 

私の、

ただならぬ様子に、

ITUさんは、

古川が不在のため、

このブログに何度も登場している、

YH主任に連絡しました。

 

「(私の名前)さん、無理みたいです」

 

と。

 

すると、

YH主任は、

私にこう言いました。

 

「(私の名前)さん、夜勤できますか?」

 

どう考えても無理です。

 

しかし、

私は、

自分から無理だというのは、

憚られるのはわかっていたので、

 

「やれと言われればやりますが、16時間の勤務に耐える自信はありません」

 

と答えました。

 

YH主任から、

古川に連絡が行き、

古川が私の元にやってきました。

 

そこでの第一声は、

 

「もっと早く言え」

 

ね!

 

結局は、

どの時点でも、

文句しか言われないのです。

 

しかも、

体調の悪いものを目の前にして、

体調を気遣う言葉もないのです。

 

この後のことは、

以前話しているので省略しますが、

結核が疑わしいとなって、

古川の態度は、

180度変わりました。

 

しかし、

この時日勤だった、

M上T子は、

この期に及んでも、

仮病だと疑っていました。

 

その後、

入院を経て退職にし、

現在に至るわけですが、

以前に話した通り、

入院中に、

連絡があるわけでもなく、

見舞いに来るわけでもなく、

結局今に至るまで、

同僚からは、

一言もありませんでした。

 

まあ、

私に人望がなかったと言えば、

それまでですが、

それなら在職中に、

私のことを、

 

「便利使い」

 

しなければいいのです。

 

利用するだけ利用して、

いざというときこれでは、

生まれるのは

 

「不信感」

 

だけです。

 

まあ、

当時の看護部のトップ・前田正美が、

労災で結核になって入院したにもかかわらず、

 

「入院したからといって、見舞いになんか行かないわよ」

 

と言うぐらいですから、

期待するほうが

 

「バカ」

 

なのです。

 

期待した、

私が間違っていたのです。

 

私は、

このブログを開設する以前に、

別のSNSを使って、

この労災の件を、

公表していました。

 

それをエゴサーチして見つけた、

事務長・竹田ならびに前田正美が、

 

「みんな、自分のことが書かれると、戦々恐々としているから、削除しろ」

 

と言いました。

 

私は、

断固拒否しました。

 

何もなければ、

書かれることはないのです。

 

理不尽なことをしたり、

言ったりするから、

書かれるのです。

 

まずは、

自分の言動を振り返り、

悪いところを改めるのが先です。

 

そうすれば、

書かれることもないのです。

 

それに、

自分のやっていること、

言っていることに、

一点の曇りもないという、

自信があるのであれば、

私が何を言おうが、

放っておけばいいはずです。

 

自分たちの言動に、

やましいことがあるから、

騒ぐのです。

 

どう考えても、

おかしいですよね。

 

病院側の不手際によって、

労災で結核に罹患した者が、

病院側から何の補償も受けることなく、

退職に追い込まれるなど。

 

こんなことは、

表に出していくべきです。

 

今後、

近畿中央病院への就職を考えている、

人たちのために。

 

前にも言いましたが、

 

「自分だけは大丈夫」

 

と思わないことです。

 

私だって、

まさか自分が、

こんなことになるとは、

思っていませんでした。

 

それでも、

実際こうなったのですから。

 

私のような者が、

この先二度と、

出てきてはいけないのです。

 

そのために、

近畿中央病院に就職を考えている人に、

情報提供することは、

悪いことではないと思います。

 

近畿中央病院の看護師の大半は、

人をいいように使った挙句、

自分たちに都合が悪い人物は、

切り捨ててしまう、

冷酷極まりない者です。

 

この労災の件で、

それが身に染みてわかりました。

 

だからこそ私は、

同類と見られたくないので、

近畿中央病院を辞めたのです。

 

そして、

看護師を辞めたのです。

 

2020年10月に、

仕事に復帰して、

心配して院内で声をかけてきたのは、

YMMT師長・FKMT師長・TND主任・KBTさんの、

4人だけでした。

 

小池など、

手術室で会ったのに、

無視でした。

 

前に話した通り、

古川睦も、

階段ですれ違ったのに、

無視でした。

 

近畿中央病院とは、

そういうところです。