看護部本日モ反省ノ色ナシ

看護師を中心に医療界の変なエピソードを話していきます

私は看護師をしておりますが まあおよそ一般社会では通用しないことがまかり通る それが看護師の世界です そんな看護師のエピソードとともに 医療界(病院)の変なことも話していきたいと思います

番外編・小田和正と中島みゆき/時代を先取りした私

私は、

小学校高学年の頃、

その頃知り合った友達の影響で、

小田和正がリーダーをしていた、

オフコースを聴き始めました。

 

同じ頃、

姉の影響で、

中島みゆきを、

聴くようになっていました。

 

しかし、

他の友達には、

なかなか理解されませんでした。

 

両者とも、

当時でも、

ファンの間だけでなく、

音楽界でも、

確固たる地位を確立していました。

 

しかし、

小学生には、

その良さを理解するのは、

まだ早かったようです。

 

いや、

社会一般においても、

まだまだ理解されていなかったので、

小学生に理解してもらうのは、

 

「酷」

 

というものです。

 

特に、

中島みゆきの曲など、

 

「暗い」

 

との評価です。

 

曲は、

明るくないとダメなのでしょうか?

 

そんなことはないと思います。

 

どんな曲が好きかは、

その人の勝手です。

 

人の好きな曲を、

酷評することこそ、

許されるべきではないのです。

 

その後、

中学に進むと、

英語で、

 

「of course」

 

という言葉を習います。

 

これは、

 

「もちろん」

 

という意味ですが、

 

オフコース

 

といえば私ということで、

なかばバカにしたような感じで、

周囲の友達は、

私にこの言葉を言ってきました。

 

しかし、

 

オフコース」の「オフコース」は、

「of course」ではないのです。

 

オフコース」の「オフコース」は、

 

「off course」

 

です。

 

これは、

 

「コースを外れて」

 

という意味です。

 

おそらく、

オフコースの初期メンバー、

小田和正鈴木康博が、

本来進む予定だった道から外れて、

音楽の道に進んだことに、

由来しています。

 

小田和正は、

実家が薬局で、

医師か薬剤師の道を志しましたが、

医学部の雰囲気が合わず、

東北大学の工学部建築学科、

その後、

早稲田大学の大学院に進みました。

 

そして、

学生時代に、

音楽にのめり込み、

音楽の道に進みました。

 

鈴木康博は、

東京工業大学から、

安川電機に進む予定でしたが、

音楽の道に進みました。

 

まさに、

 

「off course」

 

ですが、

その後の活躍をみれば、

それでよかった、

いや、

それこそが、

進むべき道だったのです。

 

2人の書く曲は、

言えば、

 

「真反対」

 

で、

小田和正の歌は、

ロマンティックな恋愛、

鈴木康博の歌は、

能動的なものです。

 

「ロンド」という曲以外は、

すべて、

小田和正がシングル表題曲、

鈴木康博が、

カップリング曲を担当しています。

 

だから、

 

オフコース」=小田和正

 

というイメージが、

一般の人にはあると思います。

 

しかも、

1980年代なかばに、

鈴木康博は、

オフコースを脱退して、

ソロになっています。

 

小田和正が、

社会一般に認知されたのは、

やはりこの曲でしょう。

 

ラブストーリーは突然に

 

この曲は、

鈴木保奈美織田裕二が主演の、

 

東京ラブストーリー

 

の主題歌でした。

 

それ以降、

小田和正ファンが急増しました。

 

そんな人に限って、

さも昔からファンのような言動をとることが、

私には腹立たしくてなりません。

 

私は、

その曲が出る7~8年前から、

小田和正の曲を聴いていて、

その良さをわかっていたのです。

 

「言葉にできない」

 

という曲が、

CMソングに使われて、

支持を得ました。

 

この曲は、

オフコース時代の曲で、

小田和正の、

 

「セルフカバー」

 

でした。

 

オフコース時代の曲を、

小学生の時聞いていたら、

友達に、

 

「暗い」

 

と言われました。

 

そんな人物が、

セルフカバーされたら、

称賛するのですから、

腹立たしい以外の、

何ものでもないのです。

 

私には、

先見の明というか、

見る目があったということです。

 

いや、

同年代の子供には理解できない、

大人な曲を、

理解できていたというのが、

正しいのかもしれません。

 

それは、

中島みゆきについても、

同じだと思います。

 

中島みゆきが、

一般に認知されたのは、

ドラマの主題歌だった、

 

「浅い眠り」

 

が、

世に出てからだと思います。

 

その後、

 

「空と君のあいだに」

 

で、

さらに認知度が上がり、

 

地上の星

 

で、

確固たる地位を確立しました。

 

中島みゆきが、

一般にも広く認知されたことは、

嬉しく思います。

 

しかし、

中島みゆきの真骨頂は、

アルバム「生きていてもいいですか」に収録されている三部作、

 

「エレーン」「異国」「うらみます」

 

です。

 

これを知らずして、

中島みゆきを、

語ってほしくはないです。

 

中島みゆきの詞には、

とても惹かれるものがあります。

 

研ナオコも、

 

「アザミ嬢のララバイ」

 

を飛行機の中で聴いて、

その歌詞に引き込まれ、

中島みゆきに、

歌をつくってほしいと思ったそうです。

 

そして、

早速打診して、

曲をつくってもらいましたが、

そのデモテープを聞いて、

 

「私には歌えない」

 

と思ったそうです。

 

それぐらい、

すごい曲を、

つくってくれたそうです。

 

中島みゆきの曲は、

いろんな人がカバーしていますが、

その第一人者は、

研ナオコだと、

私は思います。

 

中島みゆきの書く詞には、

文学部出身らしい、

知性とメッセージ性を感じます。

 

TOKIOに提供した、

 

「宙船」

 

という曲があります。

 

 

この曲は、

中島みゆきの曲と聞かされなくても、

中島みゆきの曲とわかるぐらい、

中島みゆきらしい曲です。

 

この曲のサビ、

 

「その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ

 お前が消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな」

 

は、

私が近畿中央病院を辞めるのを、

後押しした部分です。

 

労災の件で、

病院側に激しく抗議をしていた私は、

病院側(事務長竹田・看護部長前田正美)にとっては煙たい存在でした。

 

「辞めてほしい」

 

と思っていたはずです。

 

でなければ、

あんな態度を、

病院側のミスで労災に至った者に、

できるわけがないのです。

 

私としては、

元の病棟で復帰したかったのですが、

それを、

竹田と前田正美に、

手術室という、

未経験の部署一択に限定されたのです。

 

歌詞の、

 

「オール」

 

というのは、

 

「すべて」

 

という意味のオールと、

 

「櫂」

 

という意味のオールが、

かかっています。

 

つまり、

私が居なくなって喜ぶ者=事務長竹田・看護部長前田正美 に、

お前(私)のオール=すべて・櫂 を、

任せるなということです。

 

自分の舵取りを、

事務長竹田・看護部長前田正美にまかせるのではなく、

自分でするべきだということです。

 

この時ほど、

歌詞が自分の気持ちの力になったことは、

ありませんでした。

 

小学生の時から、

中島みゆきを聴いていなければ、

そんな気持ちになることも、

なかったと思います。

 

小田和正にしても、

中島みゆきにしても、

社会一般に支持されるようになったことは、

嬉しいことです。

 

しかし、

私としては逆に、

最近の曲はあまり聞きません。

 

両者とも、

本当の良さは、

昔の曲にあるからです。

 

ですから、

今でも、

昔の曲ばかり聴いています。

 

このブログを読んでいただいている方で、

両者の昔の曲を聴いたことがない方は、

是非聴いてみてください。

 

きっと、

もっと好きになると思います。