看護部本日モ反省ノ色ナシ

看護師を中心に医療界の変なエピソードを話していきます

私は看護師をしておりますが まあおよそ一般社会では通用しないことがまかり通る それが看護師の世界です そんな看護師のエピソードとともに 医療界(病院)の変なことも話していきたいと思います

番外編/「超弩級」の使い方

最近、

テレビでバラエティ番組で、

 

超弩級」「超ド級

 

という言葉がよく使われているのを、

目にします。

 

これは、

 

「度を超えてスゴイ」

「度肝を抜く」

 

など、

ものすごいという意味で使われていますが、

私はとても違和感を感じています。

 

そもそも、

この言葉は軍隊、

しかも海軍用語なのです。

 

「弩」もしくは「ド」は、

「度」ではなく、

1906年に就役した、

ドレッドノート」という、

イギリスの戦艦が由来です。

 

つまり、

 

「超ドレッドノート級」

 

ドレッドノートより、

大きな艦という意味です。

 

当時は、

ドレッドノートが、

大きな艦で、

それより大きな艦をつくるという、

 

「造艦競争」

 

が、

全世界で繰り広げられていました。

 

「全世界」と言っても、

日本・アメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ロシア(旧ソビエト)・イタリア・ドイツといった、

列強国の間ですが。

 

この、

ドレッドノート

トン数で20000トンほど。

 

太平洋戦争の時に、

すでに老齢艦だった、

扶桑・山城といった戦艦が、

日本独自設計による、

初の「超弩級戦艦」と言われていました。

 

両艦とも、

30000トンほどあります。

 

みなさんでもご存じの、

戦艦大和」ならびに「戦艦武蔵」は、

今なお世界最大の戦艦で、

基準排水量で64000トン、

公試排水量で69000トン、

満載排水量で73000トン

あります。

 

ですから、

 

「度を超えてスゴイ」

「度肝を抜く」

 

という意味で使うのなら、

 

「超ヤ級」

「超ム級」

 

というのが正しいと思います。

 

大和・武蔵を超える戦艦は、

造られていないし、

今後造られることも、

あり得ないからです。

 

ドレッドノートを造ったイギリスでさえ、

42000トンを超える巡洋戦艦「フッド」を、

1918年には、

就役させていました。

 

ちなみに、

巡洋戦艦」というのは、

戦艦から、

爆撃や雷撃(魚雷)に対する防御力を弱くすること、

つまり甲板の鋼板を薄くすることで、

艦自体の重量を軽くして、

その分スピードが出るようにしたものです。

 

日本でいえば、

建造当初の「金剛」「霧島」「比叡」が、

これに当たります。

 

しかし、

その後3艦とも、

水平防御(急降下爆撃による耐久性)を強化した結果、

重量が増してスピードが落ち、

艦種を戦艦に変更しています。

 

ちなみに、

艦の名前についての知識ですが、

戦艦=旧国名 [例]大和・武蔵・山城・日向・長門 など

          ※扶桑は大昔の中国において日本のことを指す

巡洋戦艦重巡洋艦=山の名前 [例]鳥海・

軽巡洋艦=川の名前

空母=めでたい動物がつく名前 [例]瑞鶴・翔鶴・蒼龍・飛龍 など

                  ※加賀は当初戦艦として建造されたため

                  ※赤城は当初巡洋戦艦として建造されたたため

商船改造空母=「鷹」がつく名前 [例]飛鷹・隼鷹 など

駆逐艦=自然現象や植物の名前 [例]島風・涼月・初月 など

潜水艦=大きさによって「伊(イ)」「呂(ロ)」「波(ハ)」+数字

 

その後さらに、

機関(エンジン)を換装したことによって、

30ノットを出すことができる、

高速戦艦に生まれ変わっています。

 

ちなみに、

大和ならびに武蔵のスピードは、

27ノットです。

 

巨体の割には、

速い方だと思います。

 

以上のことから、

「超ド級」と言われても、

 

「たいしたことないじゃないか」

 

としか思えないのです。

 

こういう、

細かいことが気になるのが、

私の悪い癖。

 

でも、

本当の意味を知っていたら、

素直に驚けないでしょう?

 

テレビ業界の方々は、

みんな一流大学を出たエリートばかりなのですから、

語源を調べて、

正しく使ってほしいものです。

 

今回の話は、

私の興味の話になって、

みなさんには、

響かなかったかと思います。

 

しかし、

超弩級」の意味が、

正しく理解できて、

知識が増えたということで、

お許しください。

 

例え何歳になっても、

知識が増えるということは、

良いことだと思いますし、

いつか何かしら役に立つときが、

来るかもしれません。