太平洋戦争開戦時の、
連合艦隊司令長官で、
真珠湾攻撃を立案した、
山本五十六は、
多くの名言を残しています。
戦争のことを、
あまり知らない人は、
山本五十六のことを、
戦争を始めた戦犯のように、
思っているかもしれません。
しかし、
山本五十六は、
最後まで、
太平洋戦争開戦に反対した、
数少ない軍人でした。
では、
なぜ真珠湾攻撃を立案したのか。
詳しくは、
山本五十六の文献が多数ありますので、
読んでみてください。
簡単に説明すると、
山本五十六は、
武官として、
アメリカに赴任していたことがあり、
アメリカの国力を知るが故に、
開戦には絶対に反対でした。
しかし、
国が開戦を決めたら、
連合艦隊司令長官の職務をまっとうする必要があるため、
国のために計画を立案し、
実行したのです。
「開戦するのなら連合艦隊司令長官を辞する」
と、
脅しをかけてみたのですが、
それが通用しないことを悟ったので、
職務をまっとうするしかなかったのです。
連合艦隊司令長官を辞めて、
開戦してしまったら、
もう何もできなくなってしまいます。
そして、
こうも言いました。
「開戦したら、半年や1年は存分に暴れてみせます。しかし、それ以上は保証できません」
つまり、
短期決戦なら、
なんとか勝てるかもしれないが、
長期戦になると、
負けるということを、
暗に示したのです。
「負ける」
といえば、
処罰される時代ですから。
勝っているうちに、
外交で、
話をまとめてくれと言うことです。
実際、
戦争が長期化したことにより、
日本は負けてしまいました。
まあ、
負けて良かったと思いますが・・・
説明が長くなりましたが、
私が今回紹介したい名言は、
以下の通りです。
「やってみせ、
言い聞かせて、
させてみて、
ほめてやらねば、
人は動かぬ」
これって、
現代にも、
そして看護師の教育にも、
応用できると思いませんか?
軍隊と言えば、
上官の命令は絶対で、
部下は、
意見を言うことすらできません。
モノを教える時も、
一度説明してできなかったら、
激しく叱責され、
制裁を受けます。
それが、
当時の軍隊というものですが、
これでは、
信頼関係は生まれません。
制裁を受けるのが嫌だから、
やるだけになります。
これを、
山本五十六の言葉通りにしたら、
信頼関係が生まれると思います。
実際、
山本五十六は、
海軍の中では、
「雲の上の存在」
でしたが、
多くの部下に慕われ、
信頼されていました。
これを、
近畿中央病院で説明してみます。
藤崎悦子にしても、
片山賀波子にしても、
井上裕貴にしても、
要は、
近畿中央病院で、
若手・新人看護師から、
疎まれる人物は、
教える相手が、
初めてすることについて、
最初に教える時は、
まず
「やってみせ」
ます。
そして、
「言い聞かせ」
つまり、
説明を行います。
ここまでは、
さすがに上記の輩もやります。
ただ、
「言い聞かせ」
の部分は、
私の印象では、
いい加減にしかしていませんでした。
そばで、
若手・新人に教えているのを聞いていて、
「それじゃあ、次ひとりでできないだろうな」
と思うような、
ぶっきらぼうな説明でした。
教える側は、
わかっていることだから、
それでいいのかもしれませんが、
教えられている側は、
初めてのことなのですから、
もっと丁寧な説明が、
必要なのです。
片山の場合、
「これは、こやってこうやってこうすんねん。わかった?」
こういう説明に、
終始していました。
藤崎も井上も、
同じような感じでした。
先輩から、
しかも圧の強い先輩から、
「わかった?」
と言われたら、
わかっていなくても、
「わかりました」
と言うしかないと思います。
そして後日、
同じことをすることになります。
そして出来なければ、
「この前教えたよね。『わかりました』って言ってたよね」
と言います。
この言葉で、
若手・新人は委縮してしまいます。
以後、
「負のループ」
となってしまい、
出来ることも出来なくなってしまいます。
そんなの、
1回教えられただけで、
出来るはずなどありません。
出来ないのであれば、
叱責するのではなく、
また教えてあげればいいのです。
出来るようになるまで、
根気よく教えればいいのです。
そして、
出来るようになったら、
いや、
完璧にできなくても、
やている過程で、
正しいことをしていれば、
褒めてあげるのです。
そうしたら、
若手・新人は、
自信を持つことができるし、
委縮することもありません。
そして、
指導する側とされる側の、
信頼関係が生まれるのです。
山本五十六の言葉は、
当時では、
しかも軍隊の中では、
かなりの名言といえますが、
現代では、
ごくごく普通のことだと思います。
実際私は、
山本五十六が、
この言葉を言ったと知る前から、
このことを実践していました。
信頼関係を、
築けたかは不明ですが、
少なくとも、
若手・新人を委縮させたことは、
なかったと思います。
私のように、
教育に興味があり、
こういうことを実践している者が、
新人教育から干され、
教育に向いていない者が、
教育担当になるのですから、
看護師の世界とは、
「人を見る目が無い」
者が多いと思います。
片山や藤崎・井上のような者に教えられた者は、
自分が教える側になった時、
知らず知らずの間に、
自分が言われて・されて嫌だったはずのことを、
教える相手にしてしまっているのです。
ここにも、
「負のループ」
が、
形成されてしまったのです。
そう考えたら、
私の看護師の師匠FKSMさんは、
偉大だったと思います。
「私が、先輩にされた嫌なことは、(私の名前)君には絶対にしない」
と、
最初の時点で言ってくれました。
そして、
その言葉通り、
嫌なことをされたり言われたことは、
1度もありませんでした。
良いことをしたら、
褒めてくれたし、
間違ったことをしたら、
叱ってもくれました。
こういう人に教えられたから、
私も、
教える側に立った時、
教えを守ったのです。
こういう、
「正のループ」
を形成しているのに、
近畿中央病院の、
「負のループ3姉妹」
が、
それを壊してしまうのです。
実際、
3人だけではなく、
近畿中央病院看護部の、
見る目の無い者たちが、
負のループを形成する者しか、
指導につかせないのです。
これからも、
看護教育に通用する名言を、
どんどん紹介していきます。