看護部本日モ反省ノ色ナシ

看護師を中心に医療界の変なエピソードを話していきます

私は看護師をしておりますが まあおよそ一般社会では通用しないことがまかり通る それが看護師の世界です そんな看護師のエピソードとともに 医療界(病院)の変なことも話していきたいと思います

番外編/凡人と天才の差

私は、

一定以上の常識と、

教養を持ち合わせていると、

自分では思っています。

 

しかし、

一般的にいえば、

 

「凡人」

 

の域でしょう。

 

今までの人生において、

凡人と天才の差を感じたことが、

何回かありました。

 

今回は、

そのことについて、

お話します。

 

エピソードは、

いっぱいあるのですが、

2つに絞ります。

 

最初のエピソード。

 

私が大学生の時、

学園祭は、

同じ敷地内にあった、

医学部と共同で開催していました。

 

私は、

学友会(高校の生徒会のようなもの)に所属していたので、

学園祭の運営を担っていました。

 

みんな、

アルバイトをしていたので、

夜中(0時とか)に短大の学友会員と、

医学部の学友会員が一堂に会して、

話し合いを行っていました。

 

日本における会議・話し合いとは、

看護師における詰所会に代表されるように、

ダラダラと時間だけが過ぎる割には、

何も決まらないことが多いものです。

 

これは、

 

「看護師あるある」

 

ではなく、

 

「日本あるある」

 

だと思います。

 

しかし、

この話し合いは、

医学部学友会の、

会長のリーダーシップによって、

短い時間で、

多くのことが決定されました。

 

これは、

その人がリーダーシップに長けていたからではなく、

話し合いのしかたが、

上手だったのだと思います。

 

我々凡人は、

議題自体は予め決めていても、

時間の割り振りをしないため、

前述のように、

ダラダラ時間をかけて、

結局何も決まらないような、

話し合いをしがちです。

 

しかし、

この時は、

まずは〇〇の話し合いに××分、

次にこの話題に△△分、

とういように、

議題と、

その話し合いにかける時間を、

予め決めてから、

話し合いを始めるのです。

 

この方法だと、

一定時間話し合いをした後、

時間が来たら、

その時点で決をとるか、

先送りをするか判断するので、

ダラダラ時間をかけることがないのです。

 

そして、

多くの議題を、

時間内に処理することができます。

 

それに、

話し合いに行き詰まっても、

誰かしらかが、

凡人には思いつかないような、

奇想天外な意見を出して、

解決に導いてくれるのです。

 

彼らは、

頭脳明晰なだけではなく、

人間的にも良い人ばかりでした。

 

これが、

頭が良いだけで、

人間性に問題があれば、

この時話した医師のように、

なっていたと思います。

学歴と能力は必ずしも一致せず - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

私の、

高校生の時の同級生は、

みんな私より優秀で、

3年生の時のクラスメートには、

後に医師になった人が、

3人居ました。

 

そういえば、

その3人の発想力も、

私とは違って、

もっと豊かだったように思います。

 

そして、

その3人も、

人柄的にも良かったのです。

 

そのうちの1人は、

私の友達でした。

 

それぞれ、

外科医・眼科医・小児科医(その後内科医)として、

今も活躍しています。

 

友達は眼科医で、

今は実家のクリニックを、

先代のお父さんとともに、

運営しています。

 

そんな、

優秀な同級生のなか、

看護師になった私は、

やはり凡人だと思います。

 

話がそれましたが、

このエピソードの時、

 

「やっぱり医学部の人は、自分たちとは違うな」

 

と思ったものです。

 

次のエピソード。

 

SNSで、

昔の知り合いと出会うことは、

やはり嬉しいことです。

 

ある日私は、

遅まきながら、

Facebookを始めました。

 

今は、

閲覧するのと、

友達登録している人に、

誕生日のお祝いメッセージを送るぐらいしか、

使わなくなりましたが、

当初は、

投稿も行っていました。

 

そんな時、

「知り合いかも」のところに、

懐かし名前を見つけました。

 

その人は、

SKNさんという女性で、

小中高と、

同じ学校でしたが、

同じクラスになったことは、

一度もありませんでした。

 

ただ、

小中と同じ塾に通っていて、

隣の席になって、

話したこともありました。

 

早速、

友達申請をしました。

 

承認はしてもらえましたが、

どうやら私のことは覚えてもらえてないようでした。

 

私の友達で、

私より長く、

彼女と塾で過ごした人物のことも尋ねてみましたが、

やはり覚えていませんでした。

 

まあ、

同じクラスになったことがないので、

しかたないとは思いますが、

そんなもんなのでしょうか?

 

私は、

2歳の時の記憶があります。

 

両親が居ない時に、

姉とケンカをして、

買い物に行っている母親を追いかけて、

1人で家を出ました。

 

スーパーに着いたら、

行き違いで母親が居なくて、

泣いているところを、

店員さんに保護されて、

そのまま交番に連れて行かれました。

 

そして、

しばらくしてから、

家に私が居なくて、

捜しに来た母親が、

迎えに来てくれました。

 

おまわりさんから、

バナナをもらったことまで、

覚えています。

 

強烈な記憶だからこそ、

覚えているのかもしれません。

 

しかし、

幼稚園の時のことも、

結構覚えています。

 

何なら、

年齢のせいか、

最近のことのほうが、

忘れてしまっています。

 

彼女は、

当時から頭脳明晰で、

容姿も人間性も、

かわいい女性でした。

 

それは、

今でも変わりないです。

 

そこで考えたのが、

本当に頭の良い人というのは、

大昔のことを逐一覚えているのではなく、

要らない情報を、

頭の中から消し去ってしまう人のことを、

言うのだということです。

 

私の情報など、

その後の彼女の人生には、

なんら必要のないことです。

 

だから、

記憶から消してしまい、

その分記憶容量を空けたのです。

 

凡人である私は、

ひたすら記憶を詰め込むことしかできませんが、

頭の良い人は、

常に不要な情報を削除することで、

新しい情報を入れるスペースを、

つくっているのです。

 

何かで見たのですが、

人間は、

記憶容量の10%しか、

使っていないそうです。

 

それより、

1%でも多く使える人が、

 

「天才」

 

なのだそうです。

 

私以外の、

高校時代の同級生は、

みんな記憶の使用量が10%を超す、

天才なのかもしれません。

 

私も、

そうなる資格があったのかもしれませんが、

精進が足りなかったため、

そうはなれませんでした。

 

いや、

そういうことは、

生粋のものだと思うので、

私は所詮凡人だったということです。

 

2つだけにしておこうと思っていましたが、

1つ思い出したことがあるので、

ついでに話したいと思います。

 

近畿中央病院で、

一緒に働いていた、

医師の話です。

 

この医師も、

近畿中央病院にブチ切れて、

辞めていった人です。

 

その点でも、

先見の明があり、

非凡さをうかがわせます。

 

この医師、

私よりも少し年下でしたが、

すごく尊敬できる人でした。

 

どういう点かというと、

どんなことにおいても、

つまり医師としての仕事以外の、

あらゆることにおいて、

我々凡人が、

およそ思いつかないようなアイデアを、

提案するところです。

 

それは、

正攻法ではないので、

我々は一旦躊躇するのですが、

その医師の説明を聞くと、

 

「そんな方法もあるのか」

「そんな考え方もあるのか」

 

と、

感心させられるのです。

 

中には、

説明を聞いても、

頑として反対する看護師も居ました。

 

その人は、

看護師の中でも、

凡人以下なのでしょう。

 

正攻法以外の方法を、

認めなかったのです。

 

しかし、

違法でもなければ、

危険な方法でもなく、

ただちょっと考え方を変えて、

応用を効かせただけのことです。

 

正攻法で行き詰まった場合、

大いに試す価値はあるのです。

 

そのおかげで、

随分と助けられました。

 

さらにこの医師、

別の病院で救命救急センターに居たこともあって、

患者の急変時には、

頼りになりました。

 

以上、

2つと言っておきながら、

3つのエピソードを話しました。

 

天才には、

生まれながらに持つ要素があり、

凡人には到底手が届かない存在です。

 

だからといって、

凡人が、

 

「どうせ天才にはなれないから」

 

と、

それ以上の努力をやめるのは違います。

 

どんな立場にあろうが、

人間努力を怠ったら、

そこで終わりです。

 

その努力を怠った成れの果てが、

この私です。

 

私のようになりたくなければ、

自分の才能におごることなく、

自分に限界を感じることなく、

努力をすることです。

 

「前に言ってたことと違うじゃないか」

 

との批判もあろうかと思いますが、

努力してあきらめるのと、

努力しないであきらめるのとは、

わけが違います。

「精神論」だけでは根本的な解決はできない/精神論のみで押し通し、「圧力」も交える男・古川 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

本当に頭の良い人は、

自分の能力とその時の状況を鑑み、

やらなくても無理かどうかを判断できる人です。

 

つまり、

合理的な判断ができる人です。

 

気合で乗り越えようなど、

もってのほかです。

 

大和魂」がみなぎっていても、

戦争には負けるのですから。

 

今回も、

ややとりとめのない話になりましたが、

参考にしてもらえればと思います。