看護部本日モ反省ノ色ナシ

看護師を中心に医療界の変なエピソードを話していきます

私は看護師をしておりますが まあおよそ一般社会では通用しないことがまかり通る それが看護師の世界です そんな看護師のエピソードとともに 医療界(病院)の変なことも話していきたいと思います

私がプリセプターをした新人看護師②③④

少し前に、

初めてプリセプターをした新人看護師のことを、

3回にわたって話しました。

 

今回は、

あとの3人について話します。

 

その前に、

「私がプリセプターをした新人看護師①INUE」の、

補足をします。

 

前に話した通り、

最初働いた病院と、

転勤で行った系列の病院は、

採用4年目で、

新人指導をすることになっていました。

 

それは、

1年目は新人として働き、

2年目は看護研究をして、

3年目に2年目看護研究の講評をした上で、

4年目に新人指導を行うという、

流れに則ったものです。

 

その大前提として、

3年間同じ部署で働いているということがあります。

 

しかし私は、

1年目に成人精神神経科

2年目に救命救急センター一般病棟、

3年目に救命救急センター重症病棟と、

毎年のように異動をしていました。

 

2年目の看護研究にしても、

1年新人として働いた上で、

同じ病棟で行うことに、

意義があると思います。

 

ですから、

その件に難色を示したのですが、

 

「2年目だからやらなきゃだめよ」

 

と、

看護部に一蹴されました。

 

新人指導についてもそうです。

 

私自身も、

まだ勉強の途中なのに・・・。

 

この件も、

もちろん看護部に言いましたが、

答えは同じです。

 

「4年目だからやらなきゃだめよ」

 

そうですか?

 

「〇年目だから・・・」

 

でやらせていたら、

その能力がないにもかかわらず、

無理やりすることになります。

 

そんな人に、

モチベーションがあるわけがなく、

そんな人に教えらえた新人は、

ちゃんとした成長ができるわけないのです。

 

私は違いましたよ。

 

元々、

人に物事を教えるのは、

嫌いではありません。

 

結局、

叶いませんでしたが、

将来は、

どこかしらの学校で、

教えたいと思っていました。

 

ですから、

やるとなったら、

それなりに努力しました。

 

しかし、

私の努力も空しく、

INUEは、

間違った方向へ成長していきました。

 

とにかく言いたいのは、

 

「〇年目だから・・・」

 

させるのではなく、

その人がそれをできる能力を有しているかを、

見極めてからさせるべきです。

 

私が、

上司からそう思われていたとしたら、

それは喜ばしいことですが、

きっとそれはないと思います。

 

それでは本題。

 

【私がプリセプターをした新人看護師②KMR】

 

2001年3月のある日、

私は当時の病棟師長MRYMに、

呼び出されました。

自分で自分の首を絞める看護師たち - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

時期的には、

異動の内示がある時です。

 

私は、

嫌な予感しかしていませんでした。

 

しかし、

そこでまず告げられたのは、

MRYM自身が異動になるということでした。

 

驚きました。

 

その病院では、

内示の時点で、

他言することは禁止されていたからです。

 

まあ、

私もそうでしたが、

みんな仲が良い人には、

言ってましたけど。

 

そのあとに、

MRYMが言った言葉に、

もっと驚くことになります。

 

「私は、異動になるから、最後の頼みを聞いて。新人指導をしてほしい」

 

なぜ、

6年目の私に、

その役割がまわってきたか。

 

それは、

単に4年目の看護師が居なかったことに、

ほかなりません。

 

あとは、

私より上の者か、

2年目(ARKさん&INUE)しか居なかったからです。

 

救命救急センターの古株よりも、

当時まだフレッシュだった私のほうが、

適任と判断されたようです。

 

しかもそれを、

病棟師長直々に言われたことに、

驚くとともに、

嬉しくも思いました。

 

ただ、

このMRYMは、

「上司の鏡」の後任でしたが、

じっくり話したこともなく、

信頼関係は築けていなかったのです。

 

故に、

なぜ私が指名されたのかは、

不思議でした。

 

いずれにしても、

また新人指導をする機会が与えらたことは、

モチベーションが上がることでした。

 

ただ、

若干やりにくかったのは、

KMRが1歳年上だったのです。

 

話によると、

旅行関係の会社にで働いたあと、

看護学校に行って、

看護師になったようです。

 

私の師であるFKSMさんは、

彼女に懸念を示していましたが、

一緒に働いた1年の間は、

そういうところはみせませんでした。

 

見る目のあるFKSMさんの目が、

珍しくハズレたのか。

 

それとも、

KMRが猫を被っていたのか。

 

今となっては、

わかりません。

 

ただ、

今まで一緒に働いてきた、

社会人経験のある看護師は、

自己評価が異様に高い人が、

多かったように思います。

 

もちろん、

謙虚な子も居ましたが。

 

その件については、

いずれ話す機会があろうかと思います。

 

そのKMRは、

救急看護の認定看護師となり、

今も救命救急センターで、

活躍しているようです。

 

私も、

とばっちりで転勤にならなければ、

救急看護の認定をとりたかったので、

うらやましく思います。

やらかし男性看護師MY/そのとばっちりを受ける私 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

心残りなのは、

もう1つあって、

それは、

2年目看護研究の指導を、

できなかったことです。

 

ただ、

KMRは、

INUEと違って、

頭も良く、

文章力もあったので、

大丈夫だったことでしょう。

 

【私がプリセプターをした新人看護師③YMN】

 

3人目は、

私が上記のKMRの新人指導をした翌年、

転勤先の病院で指導しました。

 

これは、

今までにも幾度か話してきた通り、

転勤先の看護部長が「上司の鏡」で、

無茶ぶりをしてきたわけです。

 

しかし、

信頼関係によって、

私はその無茶ぶりを受けたのです。

 

YMNは、

看護系ではない4年制大学を出たあと、

看護学校に入り直して、

看護師になったようです。

 

YMNは、

 

「いい奴」

 

でしたが、

腹黒い部分も持ち合わせていました。

 

彼とは、

よく飲みに行きました。

 

INUEとも、

よく行きましたが、

KMRとは1度しか行かなかったと思います。

 

年上だったので、

誘いにくかったのです。

 

そんなYMNは、

私がその病院を辞めたあと、

私が在籍した救命救急センターに転勤・異動となったようです。

 

今は、

集中ケア認定看護師となり、

活躍しているようです。

 

【私がプリセプターをした新人看護師④YMGC】

 

最後に、

私がプリセプターをしたのは、

上記の次の年でした。

 

プリセプターをする人材は、

他にも居ましたが、

YMGCが男性看護師だったことで、

またもや私に役割がまわってきました。

 

このYMGC、

看護学校を出て、

すぐに就職したはずで、

教えた4人のなかでは、

ごく普通の経歴だったと思います。

 

人物像はというと、

今風で若干チャラさもありました。

 

掴みにくいキャラクターでしたが、

基本的に悪い人間ではなさそうでした。

 

そのYMGCを1年教え、

2年目は看護研究の指導をするところでしたが、

別の病棟に新人看護師を配置するとの理由で、

私は異動になりました。

 

その時、

すでに看護部長は、

「上司の鏡」から、

SMDに代わっていました。

「あなたのことはよくわかっています」→ 話したこともないのに? - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

「あなたのことは・・・」で述べたように、

それまでの無茶ぶりは、

「上司の鏡」との信頼関係があったから、

私は受けてきたのです。

 

しかしSMDも、

そんな信頼関係の存在を知らず、

同じように無茶ぶりをしてきたのです。

 

納得いかなかったので、

 

「辞める」

 

と、

なかば脅しを使ったら、

 

「どうぞどうぞ」

 

といわんばかりの返答でした。

 

こういうあたりが、

結局看護師不足の一因となっていると思います。

 

この病院が、

辞令・命令が絶対であることは、

先述の通りです。

 

しかし、

その人が辞めて、

人材が減ることを思えば、

辞めることを止めるほうが、

いいはずなのです。

 

しかし、

その病院は、

命令に従うか、

辞めるかの2択なのです。

 

これも先述のように、

近畿中央病院も、

そうなのです。

 

ですから、

 

「看護師が足りない」

 

と言いながら、

こんなことを裏でしているのですから、

自業自得以外の何ものでもないのです。

 

結局私は、

 

「辞める」

 

という脅しが効かなかったことで、

渋々異動を受け入れました。

 

職を失うことに、

躊躇したのです。

 

結局、

このことが一因となって、

数ヶ月後には辞めるのですが、

今考えたら、

この時に辞めておくべきだったと、

後悔しています。

 

このYMGCも、

どうやら感染管理の認定をとったようです。

 

INUEの消息はわかりませんが、

教えた4人中3人が、

認定看護師となっているということで、

教えた身としては、

鼻が高いです。

 

しかし、

教えた側が、

看護師を辞めるので、

人生とはわからないものです。

 

4人とも、

もう15年以上会っていませんし、

SNSでも繋がりはありません。

 

私は、

看護師としては落ちぶれてしまったので、

そんな姿はさらしたくありません。

 

ですから、

会いたいとは微塵も思いません。

 

それ以外の、

長らく会っていない人には、

会いたいと思います。

 

特に、

この時話した、

新人看護師MSさんに。

理不尽に辞めていった子たちへのレクイエム/今でも忘れられない新人看護師MSさん - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

会える日は、

いつか来るでしょうか。