今、
この事件の裁判が行われています。
立件されている以外にも、
かなり多くの患者が亡くなっており、
到底許されるものではありません。
しかし、
被告Kの供述により、
この病院でも、
程度に低いイジメが行われていたことが、
明らかになりました。
しかし、
看護師というものは、
なぜこういう、
頭の悪いことをするのでしょうか。
白衣を切り刻まれるなど、
陰湿なことをされていたようです。
それで、
精神的に追い詰めて、
辞めるのを待っていたのだと思います。
しかし、
慢性的な看護師不足の昨今、
1人でも多くの看護師が居た方が、
イジメていた側にとっても助かるはずです。
こういう輩に限って、
自分が気に入らない同僚を辞めさせたとしても、
その分自分が仕事をするわけではないのです。
その負担は、
イジメに加担していない別の看護師に、
まわってくるのです。
それは、
近畿中央病院においても、
同じでした。
一緒に働いたという点で言えば、
片山賀波子・藤崎悦子・井上裕貴も、
そうでした。
この3人のせいで、
多くの若く有望な看護師が辞めていきましたが、
辞めた後、
この3人が、
辞めた者の分も働くということは、
一切ありませんでした。
その分は、
私をはじめとした別の看護師に、
まわってきたのです。
無責任というほかありません。
特に片山など、
主任なのですから、
後輩の手本となるべきなのです。
それを、
率先して人をイジメたり、
辞めさせる方向に持っていくなど、
論外です。
被告Kも、
母親に、
「辞めたい」
と漏らしていたそうです。
こんな結果を招くぐらいだったら、
辞めるべきだったと思います。
その病院だけが、
病院ではありません。
看護師免許があれば、
どこかしら働くところは、
みつかると思います。
被告Kは、
「患者が亡くなった時、家族に説明するのが面倒だった」
と言っているそうです。
大口病院は、
他の病院が受け入れるのを躊躇するような、
ターミナル期の患者を、
数多く受け入れていたそうです。
ということは、
他の病院に比べても、
患者が亡くなる確率が高いということです。
この点でいえば、
被告Kの思いと、
大口病院の方針が合っていなかったということで、
こんなことを起す前に、
職場を変わるべきでした。
転職は、
パワーの要ることなので、
躊躇したのかもしれません。
しかし、
こんな結果になるぐらいだったら、
多少パワーを使っても、
転職するべきなのです。
人の死は、
誰でも嫌なものです。
私も、
もちろん嫌です。
しかし、
職務上、
どうしても避けて通れないことです。
ですが、
職場を変わることで、
当たる数を減らすことはできます。
入院設備のないクリニックなら、
当たる確率はほぼゼロです。
病棟に比べて、
収入は減るかもしれませんが、
事件を起こすよりははるかにマシです。
収入・環境等、
すべて思い通りの職場など、
この世には存在しません。
一番悪いのは、
それが事実だとすればですが、
被告Kをイジメていた輩ですが、
そこから逃げることもできたはずです。
自ら退職することで、
看護師の数が減れば、
残った者に負担が増えることは、
前述した通りです。
「自が辞めたら、忙しくなって迷惑がかかる」
など、
思う必要はありません。
もう、
辞めるところのことなのですから。
その負担を、
置き土産にして、
「あの人が辞めたのは痛かった」
と、
思わせたらいいのです。
まあ、
程度の低い看護師は、
そうは思わないでしょう。
嫌いな看護師が辞めて、
清々したぐらいにしか、
思わないかもしれません。
働けるところは、
そこだけではなく、
日本全国探せば、
いくらでもあるのです。
しかも、
この大口病院は、
横浜市にあるのですから、
首都圏には医療機関は山ほどあります。
もちろん、
1つの病院で働き続けることができたら、
それに越したことはありません。
しかし、
嫌なことがあれば、
我慢する必要はないのです。
被告Kをイジメていた看護師は、
どう思っているのでしょうか。
自分の責任を、
感じているのでしょうか。
まさか、
こんな結果になるとは、
思ってもみなかったでしょうし、
自分のしたことと関連しているとは、
思っていないでしょう。
しかし、
精神的に追い詰められると、
人は突拍子もない行動をするものです。
ただでさえ、
患者を相手にすることで、
ストレスが多い職種な看護師。
これで、
同僚からもストレスを与えられたとすると、
もう逃げ場はなくなってしまいます。
看護師は、
せめて同僚には、
優しくしましょう。
それは、
いつになるかわからないし、
どんなかたちであらわれるかわかりませんが、
絶対に自分のためになるのです。
被告Kも、
ある意味では被害者です。
ただ、
してしまったことは重大で、
厳しい判決が予想されます。
亡くなった方への、
せめてもの供養のため、
裁判においては、
真実を包み隠さず話してほしいものです。
そして、
自分のしたことに、
真摯に向き合うことを望みます。