看護部本日モ反省ノ色ナシ

看護師を中心に医療界の変なエピソードを話していきます

私は看護師をしておりますが まあおよそ一般社会では通用しないことがまかり通る それが看護師の世界です そんな看護師のエピソードとともに 医療界(病院)の変なことも話していきたいと思います

いいように使われる私

昨今、

認知症の患者が増え、

その対応には、

大変苦慮しております。

 

近畿中央病院も、

その対策として、

認知症看護認定看護師を、

私が居る頃から募集していますが、

まだ募集しています。

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待遇としては、

決して悪くはないはずですが、

それでも来ないということは、

別の原因があるのでしょう。

 

私は、

例えば日勤で、

認知症の患者、

それも目が離せないような人を担当していたら、

夜勤に代わってすぐ渡すのではなくて、

夕食時間ぐらいまでは、

その患者を看るようにしています。

 

そうすれば、

夜勤の担当者が、

夕食時間までに、

他の患者のところをまわるなど、

できるからです。

 

自分も、

そうしてもらったらありがたいから、

自分もそうするようにしています。

 

しかし、

私のこういった配慮は、

必ずしも伝わっていないようです。

 

どういうことか。

 

私が日勤なら、

さもそれが当然かのように、

夕食までその患者を私が看ることになります。

 

しかし、

前述のように、

それは夜勤に配慮してのことだし、

自分の時もそうしてほしいから、

していることですが、

「当然」ではないはずです。

 

「ありがとう」の、

一言もない場合もあります。

 

一言あれば、

また違ってくると思います。

 

移動式のパソコンを、

ベッドサイドまで持っていって、

看護記録を書きながら、

患者を看るのですが、

そんなことはお構いなしに、

患者は動きます。

 

記録に、

全然集中できないので、

結局記録にも時間がかかり、

こういう時は、

いつも帰りが最後の方になります。

 

そして、

逆の立場、

つまり私が夜勤の時は、

ごく一部の看護師を除いて、

さっさと私に患者を渡すのです。

 

しかし、

それに文句は言えません。

 

もう、

夜勤の時間帯になっているのですから。

 

本当に、

都合よく私を使うものです。

 

ここに度々登場する輩は、

おおむねこの傾向にあります。

 

こんなことがありました。

 

以前に、

「定時帰り」の話をしたと思います。

正に「絵にかいた餅」・定時帰り - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

ある時、

前日のリーダーが、

次の日「定時帰り」が付いていた私に、

自分がした翌日の受け持ち患者の振り分けをみせて、

こう言いました。

 

「これなら、明日定時に帰れるでしょう」

 

いやいや・・・。

 

そこには、

病棟名物の、

認知症の爺ちゃんがついてました。

 

私は、

基本的に(基本的にですよ!)、

与えられた仕事に文句を言わない主義なので、

その受け持ちには文句を言いませんでした。

 

しかし、

心の中では、

 

「明日も定時には帰れないな」

 

と思っていました。

 

翌日、

案の定、

定時に帰れることはありませんでした。

 

朝から夕方まで、

その認知症の患者1人に振り回され、

車いすに乗せて病院中を散歩していたため、

夕方になっても看護記録は全然書けず。

 

夜勤の時間帯になっても、

結局私がその患者を看ることに。

 

誰も、

代わってくれようとはしませんでした。

 

何が「定時帰り」や!

 

夕食時になって、

やっと夜勤のヘルパーさんが代わってくれましたが、

こうなることは、

前日の時点で火を見るより明らかなことです。

 

最初から、

定時帰りさせるつもりなど、

まったくなかったと言っても、

差し支えないと思います。

 

なぜならこの時、

私よりはるかに早く帰った看護師が、

居たのですから。

 

世の中の事象は、

例え事実でないにしても、

辻褄が合うか合わないかで、

真偽が判断されます。

 

理不尽ですが、

裁判においては、

そういう判断がなされています。

 

そういう点においては、

私の主張することが、

辻褄が合う、

つまり真実と言えると思います。

 

こんな、

いいように使われるのは、

もう嫌なので、

看護師は辞めます。

 

こんな、

いいように使える私が居なくなったことのみが、

近畿中央病院が私が辞めたことで、

惜しく思っていることだと思います。

 

いいように使えるし、

他の人に言わんようなことも、

私になら平気で言うし、

嫌なことは押し付けられるし、

こんなに都合のいい看護師は、

他に居ないでしょう。

 

決して、

私が、

「仕事ができる」ということではないです。

 

私が居なくなった後、

この役割は、

誰が担っているのか。

 

そこは、

ちょと興味がありますが、

調べる術がないので、

一生知ることはないでしょう。

 

まあ、

大元の近畿中央病院が、

私をコキ使った挙句、

病気にして、

ポイ捨てしたのですから、

そこで働く者たちが、

私が辞めたことについて、

何も思うわけがないでしょう。