看護部本日モ反省ノ色ナシ

看護師を中心に医療界の変なエピソードを話していきます

私は看護師をしておりますが まあおよそ一般社会では通用しないことがまかり通る それが看護師の世界です そんな看護師のエピソードとともに 医療界(病院)の変なことも話していきたいと思います

看護師は言葉を知らない

1970年代に、

「大学生は漢字を知らない」と言われました。

 

現代では、

携帯電話・スマホタブレット端末・パソコンの普及により、

大学生のみならず、

みんなその傾向にあるのかもしれません。

 

しかし私は、

理系でありながら、

関西の某有名私立大学の、

文学部に通っていた友達より、

漢字を知っている自信がありますし、

実際そうでした。

 

以前に、

近畿中央病院では、

リーダーを「L」ではなく、

「R」と表現しているという話をしました。

言うことに一貫性のない男・古川睦 - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

これは、

明らかな間違いということは、

この時にも述べた通りですが、

それを何度指摘しても変えない近畿中央病院とは、

一体何なのでしょうか。

 

今回は、

漢字に限らず、

仕事をしている上でわかった、

看護師の言葉の誤りについて話したいと思います。

 

「重複」

 

これは何と読みますか?

 

正解は「ちょうふく」です。

 

決して、

「じゅうふく」ではありません。

 

はっきり指摘して、

頭が悪いのがバレたらかわいそうと思い、

私だけ「ちょうふく」と言い続けても、

「(私の名前)さん『じゅうふく』やで」と、

逆にこちらに注意する始末。

 

救いようがありません。

 

第一、

読めないように読むほうが、

難しいと思うのですが。

 

おそらく、

8割がたの人が、

間違って使っていると思いますが、

間違っているほうが多数派だからといって、

それが正解になることは、

永遠にないのです。

 

「重複がん」というがんがあります。

 

これは、

原発が異なるがんが、

同時多発的に発生するがんで、

「ちょうふくがん」と読みます。

 

医学系の本で、

「多重がん」または「じゅうふくがん」ともいう、

と書かれているものがありますが、

後者は誤りです。

 

これを知っていたら、

「じゅうふく」などと、

読めるはずがないのです。

 

次に「居住性」

 

これは何と読みますか?

 

正解は「きょじゅうせい」です。

 

「いじゅうせい」ではありません。

 

私にとっては、

「きょじゅうせい」と読むことが当たり前なので、

間違えること自体信じられないのですが、

実際に間違えている看護師に、

多数出くわしています。

 

次に「廉価」

 

これは「れんか」と読み、

値段が安いという意味ですが、

これを「けんか」と読んだ人が居ました。

 

確かに、

「兼」という文字が入っていますが、

「廉」には「けん」という読みはなく、

「れん」または「かど」です。

 

だいたい、

滝廉太郎は、

「たきけんたろう」ではありません。

 

最後に「汎用」

 

これは「はんよう」と読み、

本来の目的以外にも、

他に応用がきくことを言います。

 

これを、

「ぼんよう」と読んだ人が居ましたが、

それは「凡庸」と書き、

普通・平凡という意味になります。

 

看護師なら、

「汎発性・・・」という、

病名を聞いたことがあるはずです。

 

これは、

「はんぱつせい」と読みます。

 

ただし、

「凡」も、

「ぼん」のほか「はん」と読む場合があり、

日本語の難しさを実感します。

 

もう1つ思い出しました。

 

「和泉」は、

「いずみ」と読むのは、

間違いようがないのですが、

最初に居た病院で、

患者に対して「わいずみさん」と言っていた、

看護師が居ました。

 

確かに「わいずみ」ですし、

実際ごく少数派ですが、

「和泉」と書いて「わいずみ」という、

苗字の人が居るそうで、

これも日本語の難しさです。

 

しかし、

「服部(はっとり)」さんを、

「ふくべ」さんという人は、

ほぼ居ないのですから。

 

みなさんが、

私の前で間違うのは一向に構いませんが、

他で間違うのは、

恥をかくことになって、

かわいそうに思います。

 

私が訂正してあげていたら・・・と、

後悔しています。

 

それなら、

恥をかくのは、

私の前だけで済んだのです。

 

いや、

恥だなんて思いませんよ。

 

人が、

知識をつけるのは、

良いことなのですから。

 

ただ、

以上に述べてきたように、

それまでの知識で、

気付くことも可能なのですから、

文明の利器に頼らず、

言葉の勉強をして、

知識を増やしていくことが大切です。