看護部本日モ反省ノ色ナシ

看護師を中心に医療界の変なエピソードを話していきます

私は看護師をしておりますが まあおよそ一般社会では通用しないことがまかり通る それが看護師の世界です そんな看護師のエピソードとともに 医療界(病院)の変なことも話していきたいと思います

労災の軌跡 Vol.7/看護師長・古川睦の言動

前回までのお話

労災の軌跡 Vol.6/病院側の対応① - 看護部本日モ反省ノ色ナシ (hatenablog.jp)

 

今回は、

私の労災についての、

看護師長・古川の言動について話します。

 

私が、

本格的に体調が悪くなったのが2019年12月18日。

それで、

手元に資料がないので、

少し曖昧なのですが、

12月19日と20日の両方だったか、

どちらかの1日か、

仕事を休みました。

 

このあたりの時系列は、

退院してわかり次第、

アップしたいと思います。

 

そして、

近くのクリニックを、

受診しました。

 

身体症状から、

インフルエンザを疑ったのです。

 

診察の結果、

インフルエンザは陰性。

風邪の診断で、

内服薬が処方されました。

 

内服すると、

実際熱も下がり症状も軽減したことから、

その診断に疑問を持ちませんでした。

 

12月21日は土曜日でした。

この日は、

日勤でリーダー。

倦怠感はありましたが、

熱がなく休む理由がないので、

少し無理をして出勤しました。

しかし、

勤務を終える頃には、

熱は37℃台なかばまで上がっており、

私は自分の仕事が終わったら、

「しんどいから先に帰ります」と言って、

家に帰りました。

 

その時の、

同僚の視線は、

冷ややかなものでした。

 

翌22日日曜日と、

翌23日月曜日は休みでした。

 

内服薬が切れるので、

再度同じクリニックを受診し、

インフルエンザの検査もしてもらいました。

 

結果は陰性。

 

同じ薬が、

継続となりました。

 

24日・25日は日勤。

 

出勤すると、

古川は「(私の名前)大丈夫か?」と、

ニヤニヤしながら言いました。

 

おそらく、

私が休んだのを仮病と思っていたようです。

 

この2日、

私はリーダーでしたが、

詰所から病室に行くだけで、

息が切れて動けなくなる状態でした。

 

そして、

運命の2019年12月26日。

 

この日、

私は夜勤でした。

本当は、

からしんどくて、

休みたかったのですが、

朝は熱がなく、

しんどいだけでは休ませてくれません。

夜勤は、

代わりを手配するのが大変なので、

余計休むのが難しいのです。

 

しかも、

朝から休む電話をすると、

「もうちょっと時間あるから様子みられへんか」(=熱なかったら来いよ)と、

言われるのはわかっています。

 

昼頃でも、

同じです。

 

もう少し様子を見て、

家を出るぎりぎりの15時30分に連絡すれば、

「もっと早く言え」と言われるのは、

目に見えています。

 

結局、

どの時点で連絡しても、

何かしらのイヤミを言われるのは、

最初からわかっていたのです。

 

しかたなく、

嫌々出勤しました。

 

しかし、

というかやはり、

情報収集や点滴の準備など、

勤務に入る準備をしている時に、

だんだんとしんどくなってきて、

点滴を準備する台に顔を伏せてしまいました。

 

その様子を見ても、

同僚のほとんんどは、

声もかけてくれません。

 

自分から、

「無理です」という気力も失われていました。

 

すると、

ある看護師が声をかけてくれました。

 

「(私の名前)さん大丈夫ですか?勤務できますか?」

 

私は、

「無理みたいや」と答えました。

 

その人は、

古川が不在だったため、

件のYH主任に言ってくれました。

 

YH主任が来て、

「(私の名前)さん勤務できそうですか?」と言いました。

 

できるわけがありません。

 

しかし、

自分から「出来ない」とは言えないので、

「やれと言われたらやりますが、朝までする自信はありません」と答えました。

 

YH主任から、

病棟に戻ってきた古川に報告が行き、

私は時間的に当直の医師の診察を受けることになりました。

 

インフルエンザは、

やはり陰性。

 

そもそも、

クリニックで2回陰性が出ているのですから、

インフルエンザはあり得ないのです。

 

採血の結果、

炎症反応(CRP)も、

3台とさほど高くありません。

 

当直医は、

優秀な医師ですが、

困っていました。

 

私も、

診断がつかないことには気持ち悪いので、

医師からの提案を受け入れ、

胸腹部のCTを撮ることにしました。

 

その検査には、

車いすに乗って行ったのですが、

古川が連れて行きました。

その道中、

「(私の名前)、俺が車いす押すなんて、特別なことやぞ」と言い放ちました。

 

一体何様のつもりか!

 

心の中でそう思いながらも、

しんどさのあまり、

反論する気力もありませんでした。

 

検査から帰ってきて、

当直医が画像を見ると・・・

 

私が見ても、

明らかに変な画像でした。

 

それを見た当直医は、

「これは・・・YMGC先生に診てもらったほうがいいな」

と言いました。

 

このYMGC医師こそ、

近畿中央病院に居る、

結核専門医の資格を持つ医師です。

 

それを聞いた瞬間、

古川の態度が一変しました。

「俺が適切な受診を指示していたら・・・」と、

先ほどまでの「俺様」発言を、

180度翻したのです。

 

結局、

別のスタッフが手配され、

私は帰宅。

 

翌12月27日に、

YMGC医師の外来を受診し、

当初は違うだろうと言われていたのですが、

結局結核の可能性が濃厚となり、

翌12月28日に、

結核専門病院に紹介されました。

 

そして、

確定診断がついたため、

入院となったのです。

 

その後、

古川とのかかわりは、

たしかその年明けの、

2020年1月初めに、

「(私の名前)、診断書出せ」という電話がかかってきたのが最後です。

 

一番最初の、

私・事務方・看護部長との話し合いの場には居ましたが、

まったく発言せず。

 

その後の話し合いには、

姿すら見せませんでした。

 

さらに、

私が職場復帰した10月のある日、

階段ですれ違ったのですが、

無視でした。

片山のように、

一瞬目線を合わせてから逸らすようなこともなく、

完全無視でした。

 

そもそも、

見舞にも来なければ、

体調を気遣う電話すらもなかったのですから、

所詮その程度の人間だったということです。

 

他の男性看護師は、

男性看護師長ということで、

慕っているようですが、

私はだいぶ前から、

何かひっかかるものがありました。

 

やはり、

私は人を見る目があるということでしょう。